エンジニアのセンスとスピード感を磨く方法

大切なのはセンスとスピード感、若手エンジニアに役立つチップス

「言ったもの負け」

色々な会議がありますが、時々進行役やリーダーしかほとんど発言が無い会議があります。

 

新メンバーが会議に参加すると、その異様な雰囲気に耐えられず、誰も発言しないので、会議の新入りは会議の目的や思うことを自由に発言します。その発言に対しても進行役とリーダー以外誰も反応しません。

 

なぜ、誰も発言しないのか。私もその会議に少し前から加わった新メンバーなので不思議に感じていました。

 

以前からメンバーである同僚に聞いたら、

「言ったもの負け」だから誰も発言しないのだと。

 

業務改善の様な会議なので、問題点をあげたり改善アイデアを意見を出し合うのですが、

それを提起した人物に「では、あなたが担当として計画を立てて進めてください」と任命されてしまうのです。

 

業務改善の必要性を感じていたから、勇気を出して問題提起をしたのに、その解決をリーダーがトップダウンで解決の指示をしてくれるとの期待を裏切り、「では、あなた解決してください」と返されてしまったから、次回から誰も発言しなくなります。自分で解決できるなら既にしています。全体に関わり、自分の権限や能力だけではどうしようもないから提起したのです。

 

静かな会議には理由があります。

「チャットボット」

チャットボットとは、チャット+ロボットの造語。会話をシユミレーシヨンするプログラムです。

既にあちこちのホームページで登場しています。

 

「チャットポッド」に知能はありません。自然言語処理の技術は使われているでしようが、特定の単語に反応して該当する返事の候補の提示してくるだけ。

役所の窓口相談やおすすめの商品を提示するのは得意でしょう。

 

それ以上に使えるか?

例えば装置が動かなくなった時に相談に乗れるか、右も左もわからない新入社員の質問に答えられるか、、、おそらくGoogle検索以上のことはできないでしょう。

人工知能に私は若い時から夢を抱いていましたが、今までのところこれこそ人工知能だと感じられるチャットポッドにはお目にかかっていません。

 

そんなこんなで、チャットポッドに夢は感じていなかったのですが、最近、チャットポッド同程度の反応しかしない人間が増えたなあと感じてきた。

 

会話の中で「遅れ」と出てくると、「それではいつ出来ますか」の反応だけ。何故どうして遅れているのか?それに対してどんな影響が出るか想像?遅れてしまうなら何か急がせる案は無いのか? 考えるとこが出来ない。

 

「変更」と出てくると、「コスト意識を持ってください」 変更の内容や深刻度は考えない、変更は悪であるだけ。変更を承認して良いの判断できない。

 

「〇〇に問題発生です」と出ると、明確に問題とわかる場合でも、「言っている問題の意味がわかりません。より具体的に説明してください」の反応。仕方なく再度準備して説明すると、また「説明になっていません。説明してください」と繰り返されます。問題をかかえたくないのだろう。

 

「〇〇の問題どうなりましたか」と出ると、「無反応」、しばらくしてまた「どうなりましか」と状況をとくそくされると「どうなりましたか」に対して、何もできていないので「上司の判断を待っています」の繰り返し。脳死

 

自分で判断も行動も出来ない人間は「チャットボット」以下です。

 

間違っても判断して行動するのが人間、そして学習して成長する。

会議での会話で心がけて欲しいこと

会話のスピードに関して、早口やゆっくり話すことのメリットやデメリットは周知の通りです。

 

契約の場や大人数の前でのプレゼンは事前に準備をしてわかりやすくする事は当たり前なのでゆっくり目で言葉を選んで話される事でしょう。

 

今日、考えたいのは知った仲の関係者との会議や会話です。

知った仲には外部のお客さんや取引先の人も含みます。

 

早口かゆっくり話す時の注意として良くいわれるのが、話し方で有能か無能かの印象を持たれてしまうこと。この心配はいりません。知った仲間内では既に有能か無能かの印象どころか評価出来上がってしまっています。

なので話すスピードは聴き取りさえ出来ればどうでも良いのです。

 

知った仲との会議での話し方でお願いしたい事。

1. 結論から言え

 起承転結で一から説明しなくていい。まず結論を話し、どうしてそうなるのかの説明を後から足していく。結論に合意してもらえれば説明は省ける。説明を全部話してからの結論では話が長くなる。

2. 切れ目なく一気に話すな

 言いたいことがあり早口だとつい一気に数分切れ目なく話す人がいる。これだと長くなり聞いていてうんざりする。途中で割り込める間を取ってくれ。

3. 目的を忘れるな、先の先を想定しておけ

何のために会話をするのか。交渉で合意を取らないと困る場合、会話で失敗したら無能。会話のキャッチボールを想定して先の先まで会話を想像しておくこと。会話はキャッチボール。win-winに見える結論に持っていけるか、合意し易い雰囲気に持っていく事。

4. 会話はこちらの意図を正しくつたえることが目的であるが、聞き手のレベルが違うと会話は成り立たない。相手のレベルで話し方は変えること。場合によっては会話をするべきでない。別の方法を取るのか考えること。話せばわかる確率は下がっている。

 

長い付き合いの仲間内では、誰がどの様な思考パターンを持っているのかはわかっています。

難しい交渉事で自分が知らない相手の場合は、知っている人にどんな人なのか聞いておいた方が良いでしょう。上位下達か、何でもOKか、脳死か。

来週も頑張って行きましょう。

「集中力」と「記憶力」その先に必要な物は

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先日クラシックギタリストの福田進一さんのリサイタルに行ってきました。クラシックギターファンなら福田進一の名前を知らない人は居ない存在です。

福田進一さんは数年前に「ツイートでレッスン」と称してギター演奏に関してツイートされていました。素晴らしい内容なので興味がありましたら、検索してみてください。

そのツイートでレッスンの中で、演奏家だけでなくどんな分野でも当てはまることが有りましたので紹介します。

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演奏家になる為にまず必要なのは「集中力」と「記憶力」最初に、この2つがないと何もできない。

でも、その先の前に進む力、さらに発展させていくエネルギーを打ち出すには「好奇心」。フランスの女流作曲家で優れた教育者だったナディアブーランジェの言葉。

さらにその先を行って芸術家になるには「想像力/イマジネーション」もうひとつの「創造力/クリエーション」が必要と言っている。限りなく深い音楽の世界。

 

これは大学卒業して、企業でエンジニアとして働きはじめる若者にも当てはまります。

受験戦争に勝ち残ってきた若者は「集中力」と「記憶力」これは訓練されているので身についています。

その先の「好奇心」が湧いてくるかが問題。

たとえ与えられた分野がもともと興味が無くとも、それなりに始めていくと奥深さや面白味は発見されます。その気持ちになれるか。これは上司や仕事の与え方に大きく影響されます。

上司次第と言っても良いと思います。

 

福田進一さんは子供の時ピアノを始めたがピアノの先生が厳しくて嫌で仕方なかった。たまたまたピアノ教室の二階がギター教室でそこに通い始めたと言われてした。

音楽も先生と相性が良くないとレッスンは辛いだけになります。そして辞めてしまいす。

 

「想像力/イマジネーション」もうひとつの「創造力/クリエーション」。

企業で社員に新しいビジネス考えろと言われても、そもそも「好奇心」レベルまで達していない場合は無理。

 

上司は若手を育てないなら「好奇心」が湧くように工夫すること。

 

その先の「想像力/イマジネーション」もうひとつの「創造力/クリエーション」は、普通の上司が教えられるものではありません。後は成長した若者の邪魔をしないで見守るだけでしよう。

「ルール」とは

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麺類は美味しいですよね。二日続けて食べてしましました。

麺類の食べ過ぎは健康に良くないので減らせと自己ルールはあります。だが、欲望に勝てずルールを破りそして大盛りにまでしてしまいます。

 

ルールに関して考えてみました。

 

憲法改正したい輩が騒いで居ますね。

公共放送もどきが行う世論調査の結果も権力に逆らうと嫌がらせ受けるので調査数や質問内容を工夫(悪い意味で)して改正する事は良い事だの雰囲気に持っていこうとしている様に見える(断定できるのだけど、そうで無いと信じている人も多いのでこう書いておく)。

 

ルールを感じたのはいつか

皆さん、ルールを意識したのはいつ頃でしようか。私は小学生の時の遠足のおやつの金額。遠足におやつとしてお菓子を持っていくのは、その当時は何故か凄く重要でたのしみであった。その持っていくおやつの上限金額が学校から言われていた。200円までとか300円までとか。子供や親は何故そんな事を言われるのか疑問を持たずに、制限内で最大限の買い物をする事に苦しみでなく何故か楽しんで居た記憶がある。人間、制限が無いと返ってどうしていいのか例なのだろうか。この精神は今の大人でも似たようなものだと思う。訳の分からない制限が与えられても不思議に思ったり反論しようとせずにルールだからと、そのルール内で最大限自分だけは得をしようとする。中学、高校のルールは問題外。生徒を信じない、学校は何かあったら責任を取らないそれだけのため。

 

ルールとは何か

憲法学者が前に話していたのは、権力者がおかしな事をしない為の制限であると。

過去のおかしな事を繰り返させないための、レッスンズ アンド ラーンなのであると。

 

憲法改正のアンケートや議論を目にした時は、今一度よーく考えてみてください。誰が何を言っているのか、その誰はどのような事をこれまでしてきて、どのような組織のメンバーであるのか。一人だけを見てもわかりませんが、仲間を見ればわかります。

 

ルールは企業、町内会、家庭、二人以上の人が集まれば出来ます。

 

企業は国でないから、審議はそれ程されなくとも内部統制のためにどんどんルールを作っています。ルールを作る人がまともなら良いのですが、中途半端で訳の分からないルールを作ってしまうケースはよく見かけます。

それでもルールは内容に拠らず従わなければならないとのルール至上主義の人も結構います。

案の定、そのルールで混乱が起きます。その混乱のためにその愚ルールを止めればいいのに、また新たなルールを作る。

企業だと手順的なルールは、フローチャートで流れを示していますが、それが数々の例外処理が追加されわけがわからなくなる。

 

出来の悪いルールは新たなルールを生みます。

ルールは最小限に、どうしても作らないといけない時は、心無い人やバカに間違っても、彼らにルールを作らせたり変更ささるような事はしてはなりません。

企業スローガン

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今日は味噌ラーメンの店に行ってきた。

私の住んでいる所は外食が実験場として出店してくる場所の様で数々の店がある。

店内にはこの企業のスローガンが木彫で掲げられている。元々味噌を製造している会社だったらしいがその子孫が味噌ラーメンの店を初めてフランチャイズを展開している様だ。

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マスク入れがテーブルに用意されていて、そこにも店のスローガンが書かれていた。

日本語だと、味噌は日本人の宝物。

英語でMISO is Japan's treasurer.

日本人の宝物を訳すなら、a treasure of Japanese となるところを長いから、Japan's treasure にしたのだろう。Japanese treasure としていない所はどう考えたのだろうか。

たぶんJapanとしたかったのだろう。Japaneseでなく。日本語の元々のスローガンでは、味噌は日本人なら遺伝子レベルで染み込んでいるので、日本でなく日本人と書いて正解であろう。

外国にも店があるので、外国人に売り込むにはJapan'sのが良いと考えたのだろう。まあ、本場英語圏の人でないアジアの国向けなら英語としての正しさよりも、Japanブランド表記目的で良いだろう。

このラーメン屋さんの日本語でのスローガンは、あくまでも味噌だとよくわかって好感が持てる。

 

企業スローガン、つまり経営理念や企業理念はどの会社でもある。

短い文章で、その企業の社内と社外の両方に理念が伝わら無ければ、僕は意味はないと思う。

顧客がどうだ、社会に対したどうだ、未来に対してどうだと、長くなればなる程、何の会社だかわからなくなるし、どの会社も同じような内容になっているように感じる。

 

どんなかっこいいことをスローガンとして掲げても、実体は社内と下請けに「安く」て「早く」で叩くだけでは困るので、そこの所はよろしく。

 

色の選択について

雨が降る日はロードスターが濡れてしまうので基本乗らない。

天気が良い日はオープンにして緑の中をのんびり流して走りたくなる。

そんな事で昨日もロードスターで軽く出かけて来ました。

オープンにしてのんびり流す事が目的なのですが、目的地が無いと走っていてどちらの道に行くかの迷いと選択の連続で頭が疲れるので目的地は必要。

 

目的地の候補は1時間くらいで行ける、高速を使わない、渋滞があまり無い、駐車場に困らない、人があまり多く無い、過去に行った事がない。

 

この条件で昨日選んだのは八王子市にある東京富士美術館創価学会の美術館であり周りに創価学会の学校が幾つもある場所。宗教団体が運営する美術館と言っても中身は全然創価学会色も宗教色もない純粋に芸術作品を楽しめる美術館。

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旅路の風景─北斎、広重、吉田博、川瀬巴水を特集して展示している。

https://www.fujibi.or.jp/exhibitions/profile-of-exhibitions/?exhibit_id=4202204021

この美術館は写真を自由に撮ってSNSにアップ可能。僕が写した数枚をアップします。

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西洋の絵画だと宗教が多くはっきり言って僕にはあまり伝わってくるものが無かった。それに比べて今回展示されていた作品の色に特に惹かれた。

絵画や芸術作品について述べることはボロが出るので止めておくが、紺色はいい色だなあとあらためて感想を持った。

 

エンジニアリングでの色はどうなっているだろうか。

色の塗り分けは危険や安全に関わる箇所はほぼ万国共通。消防関係の装置や配管は赤、動いている箇所で触ると巻き込まれてしまう様な箇所は黄色、手摺は黄色と黒組み合わせ。個別機械はエンドユーザーの好みで決められているか、納めるメーカーの標準色のままで指定していない。制御ケーブルや電源ケーブルの色分けは明確にされる。これが何でもOKだと後でわからなくなる。よく映画のシーンで見る爆弾の処理、赤か黒のどちらを切るかの世界では困る。世の中の常識と違う要求があったり、メーカー固有の色分けがあったりするともめる。どちらかが譲らないと行けない世界の話になり疲れる。

 

色の選択は買い物に行けば誰でも無意識にしている。

服、鞄、靴など身につける物を買うときは特にどちらの色が良いか迷いに迷う。

最後は暗い色ばかりになってしまう人もいるだろう。反対にピンクばかりの人もいる。僕の近所には服から自転車から自動車まで全てオレンジ色の人もいる。

暗い色ばかりになるのはおそらく悩んだ結果いつもその判断をしてしまうのだと思うが、ピンクやオレンジは迷わずに見つけたら買っているのだろう。僕は名前に色が入っているので、最後の最後に迷ったら名前に合わせて選ぶことにしている。ただし色の前にデザインが良ければ大人買いして両方買う。予算があれば。

それぞれ色の選び方は違うはず。

 

単色の色を選ぶのは好みで良いかと思うが、色の組み合わせは難しい。

専門に美術やデザイン関係を学んでいればおそらく授業があり基本を学んでいるのでは無いかなあと思うが、そうで無い人はどんな組み合わせで服を合わせたら良いのかわからない思う。

最終的には個人個人の好みで本人が満足していればそれでも良いのだけど、おそらく満足はあまり出来ていないであろう。どんな組み合わせの色が良いのかわからないから。

 

色を選ぶ、組み合わせを考えることは美的センスの関連になると思う。

この辺を小学や中学校の美術なり何かの勉強でやってくれないだろうか。美的選択の理論的歴史的な話。色や街並みの歴史や工業デザインも。

美的センスが身につけば、これは単に色や形だけでなく、社会や仕事や生き方全てに役に立つはず。

 

難しい話になった。

 

最後に今回東京富士美術館に行った目的の一つの絵画を記念に貼っておく。

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人間関係を重要視し過ぎてないか

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今日は近場の公園をのんびり散歩してきました。自然を生かした森と丘と谷の公園なので人も少なく、小鳥の囀り、木々が風でさざめく音、木漏れ日、青い空、久しぶりに気分がすっきりしました。

 

 

人生幸せですかと、アンケートを取ると周りとの人間関係が良いと思っている人は幸せだと感じ、人間関係が良くなかったり孤独だと不幸せと答えるらしい。

 

人間関係は他人次第である要素が大きい。

つまり幸せかどうかは、他人次第となってしまう。

それってまずくないか? 

自分の幸せは自分で切り開くのが原則だろう。

現実にはイジメや無礼な人はいるので、それに関わってしまうと困ってしまう。イジメの問題はなんとかしないといけないないが、それ以外の人間関係は気にしすぎてはいないだろうか。人にどう思われようが、自分がそれなりにちゃんと振る舞っているなら、後は誰が裏で何を言おうがどうでも良いことだ。日本人は特に人の事を気にしすぎていると思う。そんなに気にするならはっきりと相手に聞けばいい物を聞かない。そして最後は耐えられなくてどうしようも無くなってしまう。

 

個人、個人の幸せが、周りの他人次第ではリスクが高すぎる。個人個人の幸せは自分次第でなくては。

自分次第とはどういうことだろうか。

他人次第ではだめだから自分次第と言ったが、人間関係以外の自然や動物や天候やスポーツや音楽や芸術や歴史といった物との関係は大きい。自分次第とは自分の好きな事があり、好きな環境をつくれ、一人で考えることが出来る頭があるかだと思う。

 

大規模なプロジェクトの場合、色々な分野の専門性が必要なため、沢山の人々が共同作業で仕事を進めていきます。

参加しているメンバー全員が経験豊富であれば、何をしないといけないかわかっていますので、他人とのやり取りは最小限で済みます。

つまり他人に足を引っ張られたり、邪魔されたり、頼られたり、頼ったりする必要がないのです。設計に集中することが出来るのです。進捗状況や問題点を見えるかしておけば、いちいちコミュニケーションは不要なのです。

しかし、現実には参加メンバー全員が経験豊富なプロでは無く、どうしても素人や長年仕事をしているのにサッパリ出来ないメンバーも一定数混じってしまいます。そんなメンバーに仕事をさせてしまうと何していいのかわかっていないので周りに迷惑をかけ始めます。本人は迷惑を掛けているとはおそらくわかっていないのかもしれません。何か問題が起こると全てはコミュニケーションが足りないと結論付けてきます。現実には経験や理解力に差があるので、コミュニケーションにならないのです。コミュニケーションは経験もしくは知的レベルが離れすぎていると成り立たないのです。

 

会社員に大事なことは何かと聞けば、コミュニケーションが大事と言う人は多いでしょう。

しかしコミュニケーションを沢山取らないと仕事が進まないようなプロジェクトは参加したメンバーのレベルに問題があるでしょう。

コミュニケーションは人間関係を密にして誤解が無いようにして、ミスを防げと言うことだろう。コミュニケーションはエデュケーションでは無い。話が通じない相手に対しての教育から始めていたら仕事は進まない。コミュニケーションが取れないと悩んだら、相手とのレベル差を考えてみてください。

 

プロジェクトがうまく行かないとなったら何が問題なのか。

技術的な問題なのか、それともコミュニケーションの問題つまり人間関係なのか。

人間関係はレベルの問題であろう。そんな事で悩んでは行けない。他の人に当たればいいだけである。下手に気を使ってはプロジェクトは失敗する。

そんな所に力を使わずに、本質的な技術的な問題解決に注力しないといけない。

 

人間関係で振られてはいけない。

自然や技術を中心に考えよう。

そうすれば不幸には感じないはず。

余裕と無駄

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ゴールデンウィークが始まりましたが休めない仕事の人も居ますし、休める仕事でもこんなに連続して仕事止めて休んでしまっていいのかと思います。

日本の会社は有給休暇を取る事を悪い事をする様に感じる風潮がまだあります。また時給単位の仕事だと休みたくても休めないこともあるでしょう。国が休日を増やす過ぎるのは色々な面からも問題の方が多い。

 

日本は残業が多く働き蜂の印象が昔はありましたが、実は他国より休日は多く、仕事の連続性はかなり分断はれている。 仕事の内容も無駄なブルシットジョブがやたら多い。そして皆が仕事していれば先に帰れない。給料は抑えられ残業代が無いと給料が低い。一流企業に見えるところでも現実の実態はかなりこんな感じであろう。

 

 

仕事は利益を出すために、無駄を無くせと言われる。無駄を削ればそれが利益になると。ほんまかいな。

 

無駄な代表がブルシットジョブなんだが、それを止めるのは非常に抵抗が強い。

ブルシットジョブを止めればその人員を他に回すこともできるのだが、ブルシットジョブをブルシットジョブだと認めてやめてしまうとやる事が無くなってしまう管理職が多いからだろう。

ブルシットジョブは無駄な人件費がかかるだけならまだ許容範囲だが、本来緊急性があり重要な仕事より、ブルシットジョブの方が上位からの要求であるので、優先されることがある。

これがあるのでブルシットジョブは止めないといけない。

 

スケジュールは、とにかく短くしろ。完成が早くなり人件費も色々減るので、ぎゅうぎゅうに詰められてしまう。詰めるときには各種タスクとタスクの間に隙間があるとそれが待ち時間で無駄と見られて詰められてしまう。現実には各種タスクが絡み合っているので、それなりの余裕が必要なのであるが、上位から指示された最終完成日ありきなので、辻褄だけ合わせて現実の流れを無視してしまう。現実を考えると無理だとわかるから、見ようとしない。

 

タスクの長さやタスク間の隙間は、無駄や余裕でなく、必要なバッファーなのである。一つのタスクが計画通りに終わらなかった場合、下流のタスクの開始が遅れさらに下流や平行の関連タスクのスケジュールに影響を及ぼす。針の穴を通す様に作られた当初のスケジュールは破綻していまい、訳がわからなくなってしまうことが起こる。

そんな時のために要所、要所にはバッファーとしての余裕を取っておかないとならない。

本来は各タスクで確実に終わられることを考えて余裕をある程度は入れておくべきだと考えるが、各自が余裕を取るとその余裕を足し合わせると余裕とりすぎだと言われて、兎に角何事も問題が起こらないとしてスケジュールを立てる事を要求されがち。余裕は全体で考えるからと。

これが問題で、全体としての遅れの余裕は必要であるが、スケジュールの中に具体的に余裕が各所に適切に組み込まれていないと、スケジュールが途中で崩れてしまい、もはやスケジュールが内も同然になってしまいがちなのである。

各自の余裕は無駄とは違うのである。

 

無駄な間接作業や管理作業は減らさないといけない。直接の作業をしている先端の人達に、余計な仕事をさせない様にしないといけない。

 

間接仕事や部門は、直接仕事をしているところのサービス業と徹すること。管理しないと直接のメンバーは信用ならんとか思っているなら大間違い。

間接は直接のために存在している。

余裕と無駄は違う。

認知症の薬

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認知症の症状が出始めた母親は先月から、認知症の薬を飲み始めた。

確かに効果はある。

携帯電話でのショートメールの使い方がわからなくなり打てなくなっていたのに、急に文章がまともになり送り始めてきた。

ただし、内容が攻撃的で驚いた。

調べて見ると、認知症の薬は世の中に四種類ありその内三種類は攻撃的にしてしまう効果がある。まさにその通りになっていた。

 

前頭葉が司っていた理性や抑制は衰えてしまっているので、そこで薬を飲んでしまうとそもそも攻撃的な傾向の人はより攻撃的になってしまう。効果はあるが、おそろしい薬である。

 

反対に大人しくする薬もあるようなので、どの薬が合うかは試行錯誤が必要なようだ。

ただ薬は副作用もあり気分が悪くなるようで飲みたくないと言う。医者には飲めと言われているから我慢して飲んでいるようだがもしかすると誤魔化して飲んでいないかもしれない。

 

人間年取ってくると怒りっぽかなる人が多くなってくるが、それは前頭葉が劣化してきて抑えが効かなくなっていること、つまり初期の認知症とも言えるようだ。

若いうちから何事にも起こりがちな人はそもそも前頭葉に問題があるのだろう。

熟年離婚も初期の認知症が始まり、まともな方が耐えられなくなるのが、ほとんどではないだろうか。

 

認知症に関しては今まで漠然としか知らなかったが、まだまだ今の医学ではどうしようもないようだと感じた。老化は止められない、細胞は再生出来ないということなのだろう。

 

認知症になっている人との相手を冷静にするのは非常に鍛錬がいる。今の僕にはどうしても我慢できず怒ってしまう。おそらく僕も初期の認知症なのだろう。

 

衝動買いなのか巡り合わせなのか良くわからないが車を買い替える

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母親がまだ入院している時だったがマツダのディーラーから電話があり、新しく出たロードスター990Sの展示があるのでよろしければ見に来ませんかと誘いを受けた。

 

セラミックカラーのロードスターは走行距離は短いとは言え六年を超えているのでそろそろ下取り価格が気にはなってはいた。

 

買い替える気持ちは全くないが予約制の展示会と言う特別感もあったのと990S以外にも新色も見ておきたかったのでドライブがてらディーラーに出かける事にした。

新しく出た990Sは走り屋には魅力的なのだがカーナビも付いていないし、オートマしか乗るつもりがない僕には残念ながら対象外。

新車を眺めながらディーラーのセールスマンと話していたら、いつの中に下取りの査定をしてもらっていた。

 

期待を裏切る高い下取り額。

半導体不足から新車の納期が軒並み延びていることがあり、中古車の査定額が高いとのこと。セールスマン曰く今の中古車価格は異常になっているので今買い替えるのは非常にお得だと、、、

セールストークとは言え下取りの価格が高いのは事実。いやもしかすると買い替える為に下取りを高く提示しているのかもとは頭によぎる。

 

下取りは下取りとして話を聞き、その後に試乗車として止めてあったロードスターが目に入った。色はマシーングレープレミアムメタリック。以前はショーとかの車に塗られていたような綺麗な塗装。シートはホワイトレザー、そしてオートマ。試乗車だが売るという。

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新車だと半年待つかもしれないのと、中古になるので新車より安い。

迷ったが仮押さえして手付金はらって、一日考えさせてもらった。考えるというより一日だったらやっぱりやめるかもしれないと事にした。

これは衝動買いと言うのでなく出逢いと言う事で自分では運命付けした。

 

中身の改良が少しはされているが色違いなだけで全く同じ車。現行NDロードスターのファンは他に勝る車が無いのでロードスターからロードスターに乗り換えが多い見たい。

 

車というのは家族やペットと同じ気持ちが入っているので、どんなに古い車でもボロくなっている車でも手放す時は寂しい。

 

カーセンサーは時々見ている。

売り出しに出ているか、見逃したのか、まだ出していないのか見当たらない。

 

何処に行ってしまったのだろうか。

これまで大事にしてきたので、大事してくれるオーナーで、そして青空駐車でなく保管してくれていることを願う。

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ついに認知症の症状が出始めた母親の話 続き

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退院した後も2ヶ月間は妄想と現実が絡み合い、特に身近な息子である私や母親の弟に激しく文句を言い出した。入院中に病院が外の宗教団体に連れ出したとか、恐らく麻酔で朦朧としている中で見た夢なのであろう。話の内容から全くあり得ないことだったが、何度も何度も同じ話をして、話を否定されたら別の大昔の誰も知らない様な恨みつらみで如何に自分の人生が不幸だったかを話し始める。まあ、その内容も別に自分が不快に感じた程度で不幸だったと言われると他の人に申し訳ないレベルの内容。

 

こんな状況がだんだんおさまってきたが、本人は自分は間違っているとは言わない。

明らかに認知の初期症状で本人に罪はないが、掘ってはおけない状況になってしまったので通院に付き添うようにしている。

特に他に悪いところはないので毎月医者と話して薬をもらうだけなのだが、かかりつけの医師も状況はわかっているので、新たな薬を処方してくれて飲み始めたことろ。

認知症は治らないが進捗を何処までゆっくりにする事が出来るのか、、、薬より本人や周りの心構えやケアが関係するとは思うが、これから先を考えると頭が痛い。

 

昨日病院から戻った時に近所の同世代の人と偶然に会ったのでお話をした。母親より歳は上でもポジティブな考え方で立派な方だった。決して愚痴や悪口は言わない。旦那さんも七年前に亡くなっておられて一人暮らし。お子さんはもともといない。内の母親とは大違いだった。

 

私は仕事では、仕事を失敗しないために批判や文句、そして問題が個人に起因する場合は個人に対して悪口を言う事にしている。黙っていると後々取り返しの付かない状況になるから。一般生活では悪口を言う必要はないので、自分では言ってないと思う。周りは言っていると言うかもしれないが。

 

悪口は愚痴は言う方はスッキリするが、聞く方がストレスである。

 

悪口は半分は根拠がない。自分が気に入らないからそれだけ。悪口は人相を悪くし周りの人は離れていく。

悪口言いたくなるのは誰でもあると思うが、そんな状況では悪口を言う代わりにその人から離れることなのだろう。

 

認知になり抑制ができなくなった時に、醜態を晒さない様にしないと、今からやっておかないとね。人間はそうは変われないから。

ついに母親に認知症の症状が出てきてしまった

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去年の12月から四ヶ月もブログご無沙汰してしまった。

再開する。

 

この四ヶ月間に起きたことを振り返る。

 

12月に母親が椎間板ヘルニアの手術で3週間程入院していた。入院の間、猫の世話をしないといけないので実家に2日おきに通っていた。道路は混んでいるので片道2時間以上掛けて電車で行き来した。じぶんのいえにも猫がいるので日帰りで往復。

完全に在宅勤務になっていたのと年休は蓄積されて沢山残っているので仕事に支障は無く、この点は助かった。

 

手術自体は成功したのだが、全身麻酔をして3週間入院したことにより、母親は認知症の症状が出てきてしまった。

もともと感情の起伏が激しくバカでもあるので手が焼けていた。入院により夢と現実が入り混じりおかしな事を言うようになった。精神科にはまだみてもらっていないが、症状から見て明らかに空想虚言症、つまり認知の始まりである。かかりつけの医者には見てもらっているときは、おかしなことは言わないのでまだ生活に支障が出るレベルでは無い。しかし電話を頻繁にかける様になってきて、おかしなことを言い、電話を切らさない。

こんなことは入院前は無かった。

 

この対応は疲弊する。

親でなければ完全に関わってはいけないレベル。

 

おかしなことを言ったことは自分でも次の日には間違っていたと気づいているようだが、決して間違いを認めないし謝ることはない。だからこちらも怒ってしまう。いけないとわかりつつ我慢できなくなってしまう。

 

人間、認知症になったり、酔っ払うと人が変わるのでなく本性の悪い所が出てくる。抑制が効かなくなるからだろう。

しかしもともと温和で良い人は老化したり認知になってもそうはクソ野郎にはならないのではと思う。

この先、自分が老化した時にクソ野郎にならない様に、性格を良くしておかないといけないと危機感を感じる今日この頃である。

 

次回に続く。

計画を立てるからうまくいかない

衆議院選挙の結果があまりにもがっかりだったのでブログ書く気力がなくなっていました。

 

計画に関して考えてみる。

コロナ感染が激減していることは当然良いことですが、出社要求も増えて改めて通勤は時間の無駄で苦痛の何者でもないと確認。

通勤時間は合計すると人生で結構大きな時間を取っている。なのでこれから家を購入することを考えている人にとにかく通勤で苦労しないように職場近くにしろと言っている。その前に家は今後人口減でどんどん余ってくる、そして仕事はどうなるかわからないから、若いうちは身軽でいるべきだと忠告してますが、なぜかローン組んで買ってしまう人が多いようです。持ち家が夢なのはわかりますが、、、やめておけといいたい。

 

犬、猫のペットも飼わない方がいい。可愛いけれど、置いて旅に出れない。行動が猫の世話を前提に限定されてしまう。三匹の猫を飼っている俺が言うのだから間違いない。

 

ローン組んで家買うのも、ペット飼うのも、衝動的な欲求から始まり、計画をたててやっていけると確認して始まる。

この二つは一度始めるとあと戻りが、難しいから迷ったら、やらないことを勧める。面倒なことが多いからやるべきでなかったと後悔してる俺が言うのだから間違いない。

 

話はかわる。

ちょっと前に話題になった韓国映画のパラサイトをNETFLIX で今頃見た。正確には半分しか見ていない。金持ち家族に計画を立ててうまく入り込んで行った途中までは良かったのであるが、その後大雨が降ったりいろいろ計画を乱す想定外のことが主人公に起こり始める。主人公家族のお父さん役が、洪水から逃れて避難所で寝ながらつぶやい言葉が記憶に残る。

「計画を立てるからうまくいかない。避難所にこうして逃げてきている人たちは計画を立てて避難所に来て寝ているわけではない。計画を立てなくてもやっていける」

 

最近、仕事でつくづく思う。

計画立てるのはいいが、希望的な計画ばかりなのでことごとくその通りには進まない。もともと無理があるので計画は随時見直しをしないといけない。以前は修正を臨機応変にしていた記憶なんだが、このところはなんかおかしい。

一つの大きな要因はブルシットジョブが増えすぎていること。余計な事で時間と気を取られて肝心なことが後回しになる。これが足を引っ張る。これをなんとかしないといかん。

 

計画は具体的な日付が必要ではあるが、それより大事なのは優先順位。日付を中心に追っていると優先度おかしくなり、先に確定すべき物を置いておいて、下流の仕事をはじめてしまう。なので始めに確実に確定しておく条件が後で決まり、その結果下流の仕事がやりなおしになったり、逆に下流が固まりすぎて上流のデータの方をなんとかしろと本末転倒なことが起こる。

 

計画を立てるからうまくいかない。

そこまで言わないが、計画通りに行くことはまずないので、計画は年中見直すこと。

計画を見直さないのは、そもそも計画を作っている人が中身わかっていないから、どう直していいわからないのか、もしくは計画が複雑過ぎて一旦崩れると何が何だかわからなくなつている。

だから、優先度を中心にそれをベストを尽くして最短で次々とこなしていけばいいはず。最優先な物が片づけば、次の優先度の物が最優先になってくる。

 

寿司を桶で食べる時に、どの順番で食べるかに似ている。1番好きな物から順番に食べていけば、絶えず1番好きなモノを食べていることなる。反対に好きでない物から順番に食べ始めたら、いつも好きでないものを食べていることになる。どちらが幸せで、前向きな気持ちになれるだろうか。

 

計画通りにいかなくなったら、優先度を見てベストを尽くす。これに尽きる。

 

「安く」て「早く」やれと言われても

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プロジェクトでは、コスト、時間、品質はどれも大切だが、それらはこちらを立てればあちらが立たない物でもある。

プロジェクトの成功が目標である事は誰でも簡単に合意であるが、手段である具体的な仕事が専門ごとに分業されているため、ある部門はとにかくコストを下げる事が最優先、ある部門は品質第一、ある部門はとにかく早く進めるが優先とベクトルはバラバラである。

それを全体最適化からバランスを取って行くのがプロジェクトマネージメントであるが、最近そう簡単では無くなってきたなあとつくづく感じる。

部門毎に責任も持たせたりするから、責任回避の自己保持も強くなり、時には自己犠牲になる全体最適化に協力出来なくなる。

 

 

競合がひしめき合う、血を血で洗うレッドオーシャンな仕事は、とにかく「安く」て「早く」やれと強要されている。

それに加えて各自に責任を持たせる事を同時に要求されてしまうと、全体最適化なんて二の次になり、自分の目標を追求する事になる。そして各部門の失敗の責任のなすりつけ合いが始まる。

 

「安く」て「早く」やることしか手が無い仕事は、楽しくもやりがいも将来性も感じられないだろう。

 

実際にはそんな事は無い。別の方法は必ずあるはず。

馬鹿が余計な事を考えると楽な事にならないので大人しくしてほしいが、そうで無い人はとにかく工夫を考える事だ。工夫は楽しいものである。仕事は楽しくなけば行けない。

 

とにかくどんな場合でも、プロジェクトは全体最適化が最優先。これを頭に置けば気持ちよく協力しながら仕事が出来る。