この間、スーパー7を見かけた。
自分の車と並べて撮りたかったのだが離れて駐車されたので、この小さく写っている写真しか無かった、残念。
スーパー7はもともとロータススーパー7であったが、ロータスが製造中止にすることになったので、ケータハムがロータスから図面や治具を引き継いで、その後も改良もして製造販売を続けている。このケースはレプリカと呼び、誰もコピーとは呼ばない。
コピーの説明は要らないとおもうが、勝手に真似して作るもの。ブランド品のバックや時計の場合は見た目だけの粗悪品のイメージ。
プラント建設でも、よく既設のコピーだから今回の仕事は楽勝楽勝なんて発言をよく聞きます。しかし原料の素性は違うし、お手本のプラントの設計がそもそもよくなかったりがあって、楽勝なんて事はまず無いです。プラント建設でレプリカやコピーコンセプトが出てきたら、原料や気候や法律の変化をどこまで反映するのか、反映した結果どこまで既設の情報が使えなくなるのか等々をよーく考えて始めないといけません。
人間の場合、子供が親に見た目がものすごく似ている時があります。その時は、お前の子供はクローンかと、父親がお前である事は証明されたねとかからかったりします。
親がそれなりの有力な政治家だった場合、子供は親の地盤をそのまま引き継ぎ、活動を踏襲します。そこで自らの違う方針を打ち立てる勇気と行動力を持った人物はそう滅多にはいないでしょう。
そうなると子供は親のコピーとなり、そもそも志がないので、うわべだけのコピーでどんどん劣化して行きます。三代目にもなるとコピーのコピー。劣化してかすれてよく読めません。
これがボンボン世襲政治家がダメな理由。