小学4年生の時、学校の図書室で子供向けに編集された「地底世界ペルシダー」をたまたま選び衝撃を受けて読んだ記憶が鮮明にある。SFと言う分野があることをその時に知ったことも覚えている。子供としての僕に衝撃的な本であった。
「地底世界ペルシダー」は映画化されており、中学生だった時と思うがテレビで見ることが出来た。いや、もしかするとレンタルビデオだったかもしれない。
映画の冒頭場面は、学会の風景で始まっていた(ここは本とはちがっていた記憶)。
地球の内部構造に関してある学者が発表をしていたと思う。その発表に対して、「ナンセンス」、「ナンセンス」と何度も大声で激しくコメントする主人公がいた。
その「ナンセンス」と言う言葉をその時に覚えた記憶なので、おそらく字幕のビデオだったのだろう。「ナンセンス」は「異議あり」と字幕に出ていたかもしてない。
最初「ナンセンス」の発音を聞き取れなくて、なんて言っていてるのかわからなかったことも覚えている。辞書で調べたわかった時は、「ナンセンス」は僕のお気に入りの言葉になっていた。映画の「ナンセンス」とコメントする場面があまりにも衝撃的に感じたからであった。
その後「ナンセンス」は僕の頭の中にはいつもあった。
いつでも発声する準備は出来ていた。
しかし、この「ナンセンス」は、それなりにきつい言葉なので、親しい仲間意外には簡単には使えない。
エンジニアリングはセンスである。
センスないエンジニアリングや設計判断は、後々問題を起こすかもしれない。
それ以上に10年後に経緯を知らない人が見たら、なんだこれは笑われたり驚かれてしまう。恥ずかしい物なのだ。
センスないエンジニアリングや設計判断がされそうになっているのを見つけたら、容赦無く「ナンセンス」と言うこと。
遠慮して優しく指摘するよりも、酷い物にははっきりと「ナンセンス」と指摘すること。酷いエンジニアリングをした人物にははっきりとわからせないとまた「ナンセンス」なことを繰り返すかもしれない。指摘してわからせないといけない。
良いセンスは身につかないかもしれないけれど、醜いセンスは二度とさせてはならない。
先日、外国人に対して理不尽な理由でおかしな設計判断をしていたので、それを止めるためにしかたなくペルシダーの映画を思い出して「ナンセンス」を何度も使ってしまった。できれば使いたくなかったが、いくら説明しても理解しようとしない場合はしかたない。バカにはバカと言う勇気、バカな判断には「ナンセンス」。
「地底世界ペルシダー」に出会ったことは、大袈裟であるがその後の僕の興味の方向性と人格形成に影響を与えたと思う。何事もたまたまであるが。