インターネット普及前は、情報は新聞、雑誌、本、テレビからで、見たいものも見たく無いもの混在して入って来ていた。
新聞の傾向は違っていたが、今ほど別れてはいない。なのでどの新聞を読んでも思想の偏りを激しく感じることはなく、満遍なく色々な考え方や情報を知ることが出来ていたと思う。
インターネットが拡がり始めた時、一つのメリットとして、興味ある情報だけが自動抽出されて効率よく自分にあったネット新聞のような物が出来ると皆がそう考えた。
その後の検索技術の進歩のおかげで、自分に興味ある情報だけ見れるようになった。
ネットで得られる無料の情報で十分に感じ始めたので新聞を読まない人が増えた。僕もずいぶん前に新聞を取ることを止めてしまった。ネットで購読を続けることも出来るが、今はしていない。
情報としては、テレビとYahooニュースなどでそこそこ一般的な情報は入る。でも新聞で得られる情報や知見にに比べたら少なく浅い。
Twitter、FB、ブログ等のSNSは気に入った物だけをフォローし、反対に気に入らない物をブロックして見ている。そうなると入ってくる物は自分にとって心地よい物ばかりになり、別の見方の考え方や本当は重要なのだが関連が一見薄い情報が入って来なくなる。リアルな世界は一つでもネットの世界はパラレルワールドになっている。
貼り付けた雑誌はその極端な例だろう。出版社もそこまで偏った雑誌を作りたくて始めたわけでは無いだろうが、売れないので、仕方なくコアな層を狙ってどんどん偏って行く。
コアな層は宗教に近い所があるので、教祖様に逆らう物に対しては一方的に攻撃する。
何を信じようが個人の自由だ。
他人に迷惑を掛けなければ。
イデオロギーの違いとして昔から分断はある。しかしそれは哲学的で深い物だったはず。
大阪都市構想、アメリカ大統領選、菅政権のやり方、、、、これらは国を二分している。
冷静に考えればどうあるべきかは明確なのであるが、問題なのは二分してしまっていること。
二分するほどの問題は、人々の心を乱し、全てを混乱させる。
混乱、これが商売のネタになっている。
今の分断は混乱に乗じて金儲けを狙っている輩に煽られているだけの様に感じる。
そうでなければ内容が稚拙で理解できない。