認知症を患う母親と向き合うとき、あるいは職場のデスクで話の通じない相手を前にするとき、私たちの脳内にはある「犯人探し」が始まります。相手の理解力(頭)が足りないのか、自分の話し方(説明)が下手なのか、それとも物理的に聞こえていない(耳)のか。はたまた、意固地なプライド(性格)が邪魔をしているのか。
この「伝わらない四重奏」を少し冷めた目で見つめ直してみると、コミュニケーションの絶望感は、案外「整理整頓」できることに気づきます。
「わからなさ」を構成する4つの断層
まず、認知症の母との会話で痛感するのは、「耳」と「頭」の境界線の曖昧さです。
補聴器をつけていても、言葉が「音」として届くだけで「意味」に変換されない。これはデバイス(耳)の故障というより、受信したデータを解析するソフト(脳)のフリーズです。しかし、ここで最も厄介なのは「性格」という名の防衛本能。わからない自分を認めたくない母は、適当に相槌を打つか、あるいは「そんなこと聞いてない!」と攻撃に転じる。これは能力の問題ではなく、自尊心を守るための心理的ガードです。
一方で、これが一般社会や仕事の場になると、構図はより複雑で生々しいものになります。
* 説明が悪いのか?: 「専門用語を並べ立てる」「相手の前提知識を確認しない」といった技術不足は論外ですが、皮肉なことに「正論すぎる説明」もまた、理解を阻害します。逃げ道のない正論は、相手の「聞く耳」を物理的にではなく、心理的に閉じさせてしまうからです。
* 性格が悪いのか?: 仕事で話が通じない時、その正体は「理解力の欠如」ではなく、「納得したくないという意思」である場合が多々あります。現状を変えたくない、自分の非を認めたいために、無意識に「わからないフリ」を選択する。これは一種のサボタージュ、つまり性格的な「壁」です。
理解とは「スペック」ではなく「チューニング」
私たちはつい、コミュニケーションを「情報の転送」だと考えがちです。しかし、実際には「お互いの周波数を合わせる化かし合い」のような側面があります。
「頭が悪い」と切り捨てるのは簡単ですが、それは相手のOSを無視して最新ソフトをインストールしようとする暴挙かもしれません。逆に「説明が悪い」と自分を責めすぎるのもまた、お門違いです。受信機が壊れている、あるいは電源がオフになっている相手に、どれだけ高音質な放送を届けても意味がないからです。
結局のところ、伝え手ができるのは、相手の「耳・頭・性格」のどこに目詰まりが起きているかを観察し、「今はどの蛇口なら開くか」を探る作業でしかありません。
結論:諦めるための分析
「わからない」の原因をこの4つに分類する最大のメリットは、「自分のせいでも、100%相手のせいでもない」と諦めがつくことです。
特に介護においては、「今は性格の壁が厚いな」「今日は脳のメモリが一杯なんだな」と分析することで、感情の摩耗を防ぐことができます。仕事でも同じです。相手の「聞く気」がないのなら、説明の技術を磨くよりも先に、相手の「性格(感情)」のガードを下げるための世間話から始めるべきかもしれません。
伝わらないのは、誰かが「悪い」からではない。ただ、今の「配線」が間違っているだけ。そう考えるだけで、次の言葉を選びかたがわかります。