通勤電車の混雑というのは、現代日本の労働者が毎朝直面する避けられない試練の一つです。コロナが終息し、リモートワークやリモート授業が減った結果、私たちの生活は再び「元に戻った」と言えます。しかし、以前とは少し違う、新しい問題が浮上しているのです。
まず、コロナ禍の間に私たちは在宅勤務に慣れました。家から一歩も出ずに仕事ができる快適さを知ってしまった以上、朝の満員電車に再び詰め込まれるのは一種の拷問に感じられるでしょう。しかし、会社や学校はそれを理解してくれず、「出社せよ」「登校せよ」と命じるのです。これが理由1。つまり、リモートワークやリモート授業の減少によるものです。
次に、カバンやリュックが巨大化しました。以前は手ぶらで電車に乗ることもできたのに、今やノートパソコンやら書類やらで重装備です。私たちはまるで登山者のように、巨大なリュックを背負って通勤電車に乗り込むのです。これが理由2。各自の荷物が増えた結果、物理的なスペースが圧迫されているのです。
さらに、スマホの存在も無視できません。満員の状態でも、誰もがスマホを手放さない。顔の前にスマホを掲げて、必死に何かを見つめています。そのため、胸元に空間ができ、車内のスペースを効率よく使えないのです。これが理由3。スマホ依存症の弊害と言えるでしょう。
そして最後に、人々の民度が低下したと言わざるを得ません。もちろん、路線による差はありますが、以前よりもマナーが悪くなっていると感じることが多くなりました。これは理由4。日本人の礼儀正しさはどこへ行ってしまったのでしょうか。
こうして、四つの理由を挙げてみましたが、結局のところ、通勤電車の混雑というのは、私たち一人ひとりの問題の集積なのです。便利さを追求した結果、不便さが増えたというこの皮肉。
では、どうすればいいのでしょうか。スマホを見つめるのをやめる?リュックを小さくする?いや、それも一つの手かもしれませんが、もっと大胆な解決策が必要です。例えば、通勤時間をずらすとか、会社に「出社する意味とは何か?」と問いかけるとか。
ただ、それでもやはり通勤地獄から完全に逃れることは難しいでしょう。地獄と思うから地獄なんであって快楽と思っている人もいます。痴漢です。許しがたい犯罪ですが通勤電車を天国にしている例でしょう。
苦しい中にも何か楽しみや発見できると気楽になれるものです。くれぐれも迷惑行為はしないように。
Wherever our mission takes us... we’ll try have a little fun along the way.