認知症という厄介な病気。私たちの身体が健康であればあるほど、これがまるで最後の障害物競走のように立ちはだかります。私の両親も認知症になり、頭の中の霧が日常を覆ってしまいました。そのうえ、歩くことさえままならなくなりました。身体が健康であっても、私は遺伝の可能性を考えると不安は募るばかりです。
認知症になると、本人もさることながら、周囲の人間、特に家族が厄介な目に遭います。とりわけ、最も世話をしている身内を泥棒呼ばわりするのは、最初のうちはショックですが、慣れてくると苦笑いするしかありません。こうしたことが起きる前提で準備を考えるのは、決して過剰反応ではありません。むしろ、必要な現実対策です。
そこで期待されるのが生成AIです。自分の記録や思考、趣味嗜好、日々の出来事をすべて記憶しておき、認知症になったとしても代わりに反応してくれる。AIは、私たちの曖昧な記憶を補完し、日々の行動をカメラとマイクで記録して、何をどこにしまったか、いくら使ったか、何をしようとしたのかをアドバイスしてくれる。こういったサポートが現実になる日も、そう遠くないのではないかと期待しています。
しかし、ここで一つ気づいたことがあります。認知症で歩けなくなった母親の一番の悩みは、実はトイレ問題です。考えて混乱しているだけで脳の記憶よりも、実際の排泄の問題が深刻です。オムツを使うしかない状況では、どんなに脳の補完が進んでも、日常の不快感は解消されません。本人に取っては「脳みそよりも、糞の処理をなんとかして」―なんともリアルで、避けられない問題です。
これを考えると、AIによる認知症対策も重要ですが、実際の介護の現場での課題解決も同様に求められます。最新の技術がどれほど進化しても、私たちの生活の基本的な部分を忘れてはいけません。結局のところ、人間の尊厳や快適さは、テクノロジーだけではなく、実際のケアとサポートによって保たれるのです。
ここでお世話になっている方々に感謝を述べさせてもらいます。
老人ホームで不満たらたらの母親をケアをしてくれている介護士の方々。在宅の時にはケアマネジャー、看護師さん、ヘルパーさん達無しには私は今途方に暮れていたと思います。ありがとうございました。