エンジニアのセンスとスピード感を磨く方法

大切なのはセンスとスピード感、若手エンジニアに役立つチップス

頭の中で繰り返される記憶

子供の時の記憶が頭の中にふとした拍子に時折現れる。

子供の時に何か失敗した瞬間や、新しいことを感じた瞬間の場面である。

記憶が動画として流れるのである。

 

一つ紹介する。

 

小学三年生の時の学級会の場面:

 三年生の時、学級委員として学級会の司会をやっている場面。議題は思い出せないが、僕は司会として皆に意見を求めた。何人もが積極的に手を挙げてくれた。手を挙げた人の中々、適当に選んで指差して発言をしてもらった。ひとりの発言が終わると、また手を挙げてもらって、また指差して発言してもらう。その繰り返しをしばらく繰り返していた。意見は子供の会議なのでバラバラ。

僕はひたすら皆んなに意見させて、時間切れとなって終わってしまった。途中で自分からも何か発言してまとめるようなことをしないといけないかと悩みつつでも何を言って良いのかわからず、一生懸命にただひたすらに皆を指して意見させていた。その悩んでいた時の心の苦しみが今でも時々蘇るのである。

 

今も議長のようなまとめ役は苦手だ。

こういうものがトラウマなのだろうか。

頭からフレディマーキュリーが取れない

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ボヘミアンラプソディーを見た。

期待以上に感動した。

困ったことに、見てから二日経つが今だに頭の中でクイーンの曲が繰り返しかかり止まらなくなってしまった、、、久しぶりの感覚である。

 

バイセクシャルやゲイは芸術面では才能があることをフレディを映画で見てあらためて感じた

素晴らしい音楽を作ることにより多くの人に感動を与えている。

 

出来の悪い子供を沢山作るより、これははるかに生産性が高い。

 

追記:

クイーンの全盛期に中高生の男子はレッドツェッペリン、ディープパープル、ジェフベック、イエス等々のギターのカッコイイどちらかというとクイーンのようなわかりやすい曲でないバンドに惹かれていた。当時、クイーンも凄く聞いていたが憧れはなかった。今回の映画で始めてフレディがインド人であることを知り、そしてバンドとしてのまとまりの良さに感動した。音楽伝記映画としては最高に良かったが、当時今ほどクイーンの曲が頭から離れないことは無かった。やはり映画の出来が素晴らしい。

楽譜を読めるようにならないといけない理由

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半年以上、練習しているビラロボスの曲の一部。上段が普通の五線譜で、下段がギターのタブ譜タブ譜とはギターの6弦のどの弦のどのフレットを押さえるかを書いた楽譜。五線譜が読めなくても、タブ譜の通りに左手を押さえればギターは弾ける。本来は五線譜から音を拾ってどの場所を押さえるか自分できめていくべきなのであるが、慣れてないとものすごく時間と手間がかかるので、タブ譜を見てしまう。

 

タブ譜の欠点は、音の高低の変化がパッと見てわからない。五線譜はオタマジャクシが上下に踊るから音が連続して下がってるなあと見るだけで感じられる。下の青字で印を付けた箇所の五線譜とタブ譜を比べると違いがわかります。

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クラシックギターはメロディーと伴奏を全部一人で弾きます。そこがエレキギターや伴奏でのフォークギターと違い大変なところです。

クラシックギターの名曲の楽譜を見ていると、メロディーやベースランや伴奏がうまい具合に絡み合い綺麗だなあと感心します。タブ譜ではその辺が見れなくなってしまうので、五線譜でちゃんと読めるようにならないと上達に支障があるんですね。

 

ギターの先生に、この楽譜ってよく見ると意味があって凄いですねと言うと、いや別にどの楽譜もそんなもんで普通ですと言われてしまいました。ちゃんと楽譜が読めてる人は、タブ譜なんて見てないので、五線譜から読み取れてるんですね、、、

 

先生からは楽譜読む事はやめたのですかと、あきれたように言われてしまっているのですが、子供の時も学生の時も楽譜を読もうなんてした事が無かったので、五線譜を読む事は非常に苦痛なのです。

読めないですが、五線譜自体は音楽を記録する方式として素晴らしいと思うし、オタマジャクシが踊り、旋律がビジュアルに表現されているので、美しく好きなんです。眺める事は。

 

ただ自分として許せないのは、仕事では周りに意味考えないで言われたことをそのままやってんじゃねえよと言っているのに、ギター弾くときは、タブ譜を見て指だけ動かしていること。タブ譜の通りに弾いていると今なんの音を出しているのかわかっていないのです。音がわかっていないとは音楽としては意味がわかっていない事なんです、、五線譜だけを見てギターが弾ければそれはギターのどの位置を押さえればその音が出ることを理解できていることになるのです。

 

普段言っていること(意味考えないでやってんじゃねえよ)と、実際に自分がやっていることが違うのが、心が苦しいのである。

これが五線譜を読めるようにならないと行けない理由なんです。

 

なぜ棒読みするのか

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日本は総理大臣から新入社員までどうしてこんなに棒読みする人間が多いのだろうか。

 

人の事は言えない。

僕は、この半年以上同じ曲をギターで練習しています。なぜかこの曲は弾いても弾いても暗譜出来きない。とても美しい曲なのですが、なぜか暗譜できない。

この曲と個人的に相性が悪いのか、脳が劣化してしまったのか、集中力がないのか、、、もういくらやっても駄目なような気がして来ています。

 

プレゼンや講義は時々やっていますが、それは原稿用意することなく、対象者の反応を見ながらほぼアドリブ風に出来るようにはなってきました。これは話す内容を自分で作っているので完全に自分のものになっているからだと思います。

一方、ギターの演奏は自分で作曲した訳でもないですし、そもそも技術が伴って無いから、曲が自分の物になっていない。

 

棒読みの話に戻すと、どうすれば良いだろうか、、、

 

自分が曲の暗譜がどうしても出来ないことから考えてみると、棒読みからの脱却は話す内容を完全に自分の物とするまで吸収出来るかどうかです。

 

棒読みは単調で聴き手の気持ちにあまり響きません。引っかかっても、言い返してもいいのです。メモを見ながら話して良いのです。とにかく会話するように聴き手に話しかけるようにやることにつきます。

 

そのためには内容を自分の物として気持ちを入れるようにすることです。原稿の暗記では内容は自分の物になりませんし気持ちも入らず棒読みになってしまうのです。

どうしても棒読みになってしまうなら、最低でも何箇所か情熱を入れて話すことです。

ボーダーライン

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世の中、何事にもボーダーラインつまり境界線はある。

電車に乗ってこれを書いているが、隣に座っている中年女性と僕の間に線は見えなくとも、何かお互い気が合わない嫌な心の境界線がある。

ボーダーラインを皆が遵守していて、お互い少しの気遣いがあれば、混んでいようともそれ程苦痛な空間ではない。

 

ボーダーラインを超えてこられたり、急に取り除かれたりすると、人々は困惑する。

 

経済のボーダレス化や労働力提供としての移民は世界経済全体が成長している時は良いが、成長が停まると厄介物扱いにされる。全く都合が良い。

 

経済と移民の問題は専門でないので、

話題をエンジニアリングのボーダーラインについて考えてみる。

 

エンジニアリングは研究開発とは違い失敗は絶対に許されない。失敗しない為には実績の範囲内で設計をして行く。仮に失敗したとしても、実績の範囲内で失敗が起こってしまってもそれは想定外と言い訳が通り自己責任と言われない。

それでは実績はどの様に確認すればいいのだろうか。

ほぼ同じ装置が複数台、似た条件下で二年間以上無事に運転されていれば、実績として合格と言える。

実績評価の方法として例を挙げる。横軸に流量、縦軸に動力にして実績をプロットして、プロットの上限を実績として認められるとしてボーダーラインをひく。そこに新しい装置の条件をマークする。それがボーダーラインをはるかに超えていれば明らかにダメ。難しい判断はボーダーライン上の場合。その場合は構成要素に分けて部品単位でクリティカルな箇所は何か考えて判断していく。最終判断にはもっとかんがえる必要がある。

 

大型プラントで使われる装置は全く同じ条件は少ない。大型化、圧力、温度、原料、ユーティリティ等々毎回ちがうのである。実績があるかの判断は慎重でなければならない。

 

ほぼ同じ装置であるとどの様に判断するのであろうか。

似た条件下とはどこまで似ていれば良いのだろうか。

既に二年間動いていると言うことであるが、実際にはトラブル続発でちゃんと動いてはいない可能性はないか。

 

完璧な実績が装置が見つからない場合、実績と言うボーダーラインを超える必要が出てくる。

ボーダーラインを超えることの判断は一個人やチームだけでなく、顧客を含めた全員のコンセンサスが必要。

 

ボーダーラインを超えて選ばれた装置は、普段より多くの設計検証や検査を行う。可能であれば工場での試運転を実際の使用条件に近くして行う。

 

ボーダーラインの内側で生きていれば安泰。そんなに色々心配せずにいつも同じやり方で問題はそうは起きない。

でもどうしても超えなければいけない時もある。また相手がボーダーラインを超えて襲いかかってくることもある。

 

設計も生活もボーダーラインを意識していると、どこが大切かどこが勝負どころか、メリハリがつけられるようになってくる。

そして、どこが超えてはいけないボーダーラインかも見えてくる。

日本人はもっと面倒臭がらないとだめや

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アメリカ人と日本人、もしくはアメリカ人とそれ以外の国の人の一番の違いは、面倒臭がり屋であることだと思う。

最近、日本に駐在している典型的な白人男性と仕事をしていてよく感じる。

 

IT化する時、かなりの日本人は今までの紙を使っていたやり方をただ電子化しようとする。エクセルでホームシートを作ってそれにタイプする。ここまではまだ少しは許せるのだが、それをプリントアウトさせて捺印させたり手書きのサインを要求してくる。そしてそれをスキャンしてメールに添付して相手に送る、、、

アメリカ人はとにかく面倒臭いことが嫌いなので、仕事のやり方をまず簡単にシンプルにしようと考える。上の日本人やり方にはうんざりさせられる。

 

古臭い日本人はEメールでのやり取りは正式で無いとして、何でもかんでも合意した記録として再度レターにしろとか、MOMとして記録に残せという。そしてMOMはプリントアウトして手書きサインをしてスキャンだ。

アメリカ人はEメールでのやりとりでも責任のある合意であり、レターやMOMとの違いは無いと考える。Eメールで済ますことができればそれは記録として残るのであり、レターやMOMと同等。とにかく不必要な面倒なことはしたくない。

 

日本人は、決められた事は疑いなく従うように教育されて来た。どんなに面倒くさくとも多少は愚痴は言いつつも仕方ないとやる。

決められた事が、よく練られた合理的なものであれば良いのだが、そうでないものが多い。

マニュアルをいちいち見たり、人から使い方を教えてもらわないと、理解できないインターフェースが醜いシステムが日本には多い。センスある人間がもっと時間と手間をかけて作り込めばもっと良くすることができる。

使うのが面倒臭いシステムにはもっと文句を言うべきである。

 

日本人はもっと面倒臭がって、悪いものを治していかないと、仕事も社会の作業効率は上がらない。

叩くところが間違っている

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ネットでは、シリアから解放された安田さんを批判する意見と擁護する意見が見事別れている。

 

安田さんは過去にも何度も捕まっていて何度周りに迷惑をかければすむのだとか、全然スクープ記事が取れてないだとか、健康そうでヤラセではないかとか、とにかく全否定している。

Ameba TVの橋下と馳の話は酷い。この二人がどんな人物であるかをあらためて見せつけてくれた。他にもヨットで漂流して救出された自分の恥をだしに批判しているキャスターもいた。

彼らに共通して言えることは、安倍政権寄りの人物。つまり安田さんは現政権を前から批判的しており、渡航も止められてもいた。現政府に楯突く者は無条件バッシングを受けるのだ。

安田さんがこれまでどのような取材をしてどのような発言をして、今回どのようにして捕まってしまったのか詳しく事実に基づいた情報で叩かれているのではない。逆らう者は無条件に叩かれるのだ。

 

どう見ても今回の救出には日本政府は絡んでいない。今回に限らず海外で何か起こった時の日本の大使館および政府が、他の国に比べて何もしてくれない感は有名話である。その無責任を自己責任と言い換えて誤魔化している。

 

安田さんを叩いている人物が森加計についてどう発言しているのか、憲法改正をどう評価しているか、、、わかりますね。

 

この安田さん解放について、自己責任だとかこの様な危険地域でも取材に向いてないとか、国が禁止したら行っては行かないとか、日本が金を払ったのかとかそんな議論は少ししたらお終い。日本人が一人殺されずに済んだのだからよかったのだ。

 

本来、叩かなければならない森加計始めとする現政権周辺の悪事が全然終わっていない。

 

原発、沖縄基地、自己責任について考える

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昔、僕の上司たちは昼飯を食べながら、よく政治の話をしていた。小泉以前の自民党がまだ今よりは格段にまともだった時代の話。

 

昔の上司達が定年になり居なくなってからは、誰も政治の話はしなくなった。政治の話に似ているものとして、原発、沖縄基地そしてジャーナリスト自己責任の議論がある。これらの話題はタブーのように話されない雰囲気がある。この雰囲気は息子との間でもあり、もし議論したら大げんかになると思う。

 

 

原発について

原発の賛否に関しては何人かと話したことがある。ある同僚はエネルギー無しではやっていけない現代社会なのだから原発は必要だ。ある同僚は軍事力のセットと考えて原発は必要のような理屈で話していた。ほとんどの人は特に賛成も反対も明確な考えは持っていないようだった。僕の意見は原発は危険すぎるので絶対に廃絶しなければならない。装置というものは必ず経年劣化し故障する。いくら冗長化しても事故は起きるときは起きる。原発の問題は放射能が漏れてその土地が汚染されてしまったら、将来永劫その土地が死んでしまうのだ。原発以外の装置が仮に大爆発を起こして毒ガスも漏れ周辺の焼け野原になってしまってもそれは数年でまた復活することができる。そもそも原発アメリカから導入するとこになった動機も良くないし、その後の電力会社と政府のやり方を見ていると許しがたい。僕の意見は、最悪の事態でその土地周辺が死んでしまうような原発は絶対に反対。エンジニアとしては、どんな最悪の事態でも安全に停止する装置でないものは認められない。

 

沖縄基地問題について

沖縄経済のために基地は必要、米軍が居ないと中国に攻められてしまうとの想定で基地賛成なんでしょうが、基地を沖縄に置いているのは日本を守るためではなく、地理的にあそこに基地があると中東域までカバーできて便利であるから。トランプはしょうもないけど、アメリカとアメリカ人はフランクで基本フェアだから逆らう必要はない。ただ日本ははやくまともな政治家を選んで対等に外国のトップと話してもらわないと、恥ずかしく日本人と言えなくなってきた。未だに日本はアメリカの占領下にあると言えるので、僕の意見は沖縄基地の議論と合わせてもっと真剣に地位協定横田基地空域を緩和する交渉をしなければ沖縄は日本人同士の対立で疲弊してしまう。

 

自己責任、ジャーナリスト安田さんについて

国が行くなと言った危険な地域に勝手に言ったのだから、身代金を払って救出する必要は無い。その金(税金)でまた誘拐やテロが起きるだろうと。この考えは軽装で山に登り遭難した人の救出や台風の日にサーフィンをやって溺れた人の捜索になんで税金を使うんだとの批判の延長。しかし安田さんのようなジャーナリストは別の話。政治的な理由を背景に荒れているシリアのような国で本当は何が起こっているのか、それを実際に見て写真を撮って世界に知らせる事は誰かがやらなければ圧政者の思うがままである。安田さんのようなジャーナリストは当然、覚悟して現地に行っているわけで、計画もなしに軽装で行っているわけでは無い。本来はどこかの新聞社から人が派遣されて取材に行けば良いのだが、日本の会社は今はどこもそんな危険な国に社員は出さなくなっている。そうしたらフリーの肩書でだれかが行くしか無いのである。これは安倍政権の悪事を大手マスコミが書けないが、一部の心あるジャーナリスト達が危険を承知で頑張っているのと同じ。安田さんに自己責任や英雄だなんていう必要はない。彼のような人はこのような世界を許し難いので行くだけである。

 

良い週末を。

エンジニアは何才まで働けるか

70才まで、企業は希望する人を雇用しろなんて、困ったものです。

確かにサラリーマンなぞ定年退職した後はやる事なく、見るも無残に朽ち果てていきます。

企業で働くなら周りを見ていてほとんどの人は65才が限界と思います。よほど頭脳明晰で人柄が良ければ周りはいて下さいとお願いしますが、それはごく一部の人だと思います。

 

年金、医療保険、税収、全てがこのままでは危機的状況なのでその対策の一つとして70才までであってそれをちゃんとセットで言わないところが今の安倍政権は醜い。

 

ではサラリーマンエンジニア、出来るだけ長く勤めるには今のうちにどうしたら良いか。

 

1. 経験と専門知識は溜め込んでおき、若者の指導が出来るようにしておく。専門性が高ければ他社でも簡単に雇ってもらえる。

2. 煙たがれる性格にならないように意識的に気をつけるようにする。頑固者、声がでかい、同じ話を繰り返す。

3. 口臭や加齢臭に気をつける。

4. とにかく清潔に、そしておしゃれに。例えばサンダルを職場で履かない。引きずってあるくな。

6. パソコン操作がちゃんと出来るように。いちいち若者に教えてもらうと面倒がられて嫌われる。

 

こんな人ならずっと職場にいてほしい。厳しく言うと何歳まで働けるかは本人の意思でなく、周りが決めることになる。

オーバースピード

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台湾の脱線事故、多数の方がお亡くなりました。台北に三ヶ月ほど赴任していた事もあり親しみがあるので心が痛みます。

カーブで速度を出せるように傾く車両は、九州の長崎に出張した際に何度か博多から乗ったが、九州はカーブが多く非常に揺れて気持ちが悪くなった。早く曲がるためにはいいアイデアではあるが、もう乗りたくない。

 

回転する機械で一番やってはいけないのは、オーバースピード。遠心力は回転速度の二乗で比例して大きくなるので、限界の応力をこえればか、破壊してしまいます。

線路を走る電車であればカーブで曲がりきれずに脱線してとびだしてしまいます。

そのためオーバースピードにならないようにリミッターがあったり万が一基準を超えてしまったら、緊急停止させます。

 

脱線の原因究明はこれからであるが、電車事故での犠牲は前よりの車両であることが今回も証明されてしまった。

特急電車に乗るときは真ん中より後方の車両を選ぶことにした方が、心配性の人には良さそうだ。

 

電車の事故に巻き込まれることは確率としては少ないので、電車より自分の運転をより慎重にすべきだな。

オープンカーがひっくり返ってそのまま滑っていくと、ベルトしてて飛び出さなくとも、上半身が擦り切れて亡くなってしまうらしいから、、、。

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講演で集客するには、タイトルかそれとも人柄か

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先週、社内向けの講演をやりました。

社内向けとはいえ、専門が異なる人達に対しての話なので普段とはかってが違います。

 

専門でない人が聞いても、何かしら参考になるか、もしくはすこしでも面白いと思ってもらえる内容にしないと集まってくれた人の時間泥棒となってしまうので、結構悩みました。

これまで他の人の講演を聞いた感じでは、頑張って話してはいるけどイマイチ面白くないので自分もそうならないようにしなければならないと、、、先週は準備とプレシャーでかなり疲れました。

週末は懸念事項が一つ終わったので、気分はスッキリして三浦海岸までドライブしました。

 

講演の内容は自分の専門を少し違った切り口で整理して、専門知識全く無しで聞いてもらえるように工夫しました。

まずタイトルを、「なぜ〇〇の〇〇〇〇は無くならないのか」としました。最近の本のタイトルや帯もこんな感じなのが多いので、まあ真似です。

〇〇の〇〇についてとか、最近の〇〇の動向とかでは、堅すぎて内容が一般的な紹介物だろうと捉えられて、おそらく専門外のひとは興味を持ってくれないだろう。いかに専門外の人にも来てもらうために出来ることは、タイトルで目を引くことしかないのです。

 

有名人の講演会は、名前だけで沢山の集客があります。会社でもトップの人が講演を行えば会場は満員御礼で入りきれなくなります。

 

今回、嬉しいことに満員御礼の集客がありました。同僚たちはタイトルで集客増えたと言ってました。また会場のセッティングをしてくれた女性の方は久々に満員御礼の札を出すことができました!と準備した甲斐があったと喜んでくれました。これも〇〇さんの人柄ですねと。

 

講演のアンケートは取ってないので、タイトルで来てくれたのか、それとも人柄かわからない。

 

人柄は表面的には人から良い人と思われるやうに振る舞う傾向がある。これは自分のやりたいように人を誘導しようとするずるい習性。これが自己分析。

こんな事、自己分析はブログでしか書けない。

 

 

どう見ても意味のない仕事を頼まれたら

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基本設計の仕事は、顧客の要望に合わせて、最適な設計をすることにあります。最適とはコスト優先、納期優先、信頼性、生産量最大化、競業より優れているとかケースバイケースです。実際にはコストを下げる努力は必ず言われますが、、、

 

最適解を求めるため、比較検討を行います。複数を並べてコストや性能を比較します。

最初からやる事が決まっている比較検討は当然やるのですが、設計が進むにつれて、細かな箇所にも比較検討をした上で決定したいから、比較検討してくれと要求が出てきます。

比較検討しなくとも、最適解は明らかなことも多いのと、比較検討したところで、その結果を見てもどうせ決められない人は決められないのだから、その比較検討は無駄作業になってしまいます。

 

他に優先度の高いやる事があり、無駄になる比較検討作業は出来れば断りたいものです。

 

どんな言い訳で断ったら良いでしょうか。

 

忙しいから出来ませんと言っても、許してもらえません。なぜなら頼む側から見たらやって欲しいので、人を増員するなり、他の仕事を後回しにするなりしろなんです。なかなかゆるしてもらえません。

 

それでは、その検討は無駄だからやる必要ありませんと言えるでしょうか。相手がお客さんや偉い人だったら、なかなかいえませんよね。

 

諦めて、やるしかないでしょうか、、、

いいえ、大丈夫です。そもそもやる意味のない事をなので、やる意味があるかを相手にもう一度考えるきっかけを与えるのです。

それは、金と時間です。

この比較検討作業には、2ヶ月の時間と300万円のお金がかかりますと、具体的にやや大きめなインパクトを伝えます。決して相手がやりたいと思っている作業の内容が意味が無いなんて言ってはいけません。

相手がそのお金と時間をかけるだけの意味がある検討か考え始めます。お金がかかるとなると、相手も上司に承認を取らないとなりません。

結果はおそらくやらなくて良いとなるでしょう。そもそも不要だったのですから。

 

忙しい時に、どう見ても無駄な仕事を依頼されたら、内容を批判する事なく、お金と時間のインパクトを伝えましょう。

 

 

相談して助言をもらったら結果の報告を忘れずに

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社内や社外から、直接関与していない仕事でも相談やアドバイスを求められることがあります。

忙しい朝に電話でくだらないことを聞かれたりしない限り、できる限り相手の立場に立って答えてあげるようにしています。

答えると言っても、どんな背景でどんな目的で質問をしているのか等々をまず確認します。

そうでないと相手が必要としている回答が出来ません。質問してきている人が別の他人から聞かれたから質問をただ転送して来ているだけの時もよくあります。

質問に対して、答えるときは質問の背景を確認して置かないと、答えが想像もしない目的に使われてしまう危険もあります。

 

相談の理由が明確だったとします。それに対してアドバイスをしてあげたとします。アドバイスする方としては、これまでの自分の経験と知見をフルに絞り出して真剣にアドバイスします。

その後、どうなったのか気になります。アドバイスの通りアクションしたのか、その結果は上手く行ったのか、ダメだったのか、、、

相談者から報告があることは、残念ながらあまりありません。

結果を報告してもらえれば、こちらの知識としても増えますし、アドバイスした甲斐があります。

 

相談者が困っていたから、真剣にアドバイスしたのに、その後報告が何もなかったら、、、

その相談者からの相談には二度と乗ってあげたいと思わないものです。

人間は感情があるので、感謝されるうれしいのです。決して感謝を求めていませんが、感謝されると嬉しいのです。

 

相談してアドバイスをもらったら、結果に依らず必ずその後どうなったか報告をすること。

報告するだけで、アドバイザーは今後も貴方の味方になってくれます。

うちの子が一番可愛い

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どんどんロードスターに愛着が湧いてきて、どこに停めても写真を撮ってしまう。

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スーパーマーケットの駐車場に戻ると隣に新車のミニクーパーが停められいた。とても良い色だけどうちのロードスターの方が美しいや。

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エストの駐車場でもおとなしく待ってる。

車は言うこと聞くから、猫というより犬の可愛さだな。

 

 

2:6:2

会社組織の人員構成は、できる人、普通の人、できない人の2:6:2に落ち着くとよく言われている。

もう少しわけると、2:3:3:2でまあまあできる人ともう少しにも別かれる。

 

全体をかさ上げもしくは下層の切り捨てがされれば組織効率はあがりそうだが、パレートの法則ではあらたに出来ない層が発生してくるらしい。

 

ここから先は自論。

アリの世界ではそうかもしれないが、人間社会ではそうではなくて、出来ない層がいない方が絶対に効率は上がる。

 

なぜ、アリと人間はちがうのだろうか。

 

アリの能力の個体差はおそらく少ない。人間は個体差が大きい。いくら教えてもいくら経験させても出来ないものは出来ない。そして、無理してやらせるとミスをする。そのミスをカバーするために、できる層が労力を取られてしまうのだ。

さぼっているアリは予備労力としてのアイドリングであり、必要な時にはちゃんと労力になる。

 

2:6:2で下層の2を引き上げる努力をした結果、残念ながら能力が上がらなかったら、諦めるしかない。ミスをしても他に迷惑がかからないことをやらせないとならない。その方が出来ない層もストレス感じることなく幸せなはず。

 

決して切り捨てろといっているのではない。何かできることはある。それを見つけてやること。

間違っても重要なことをやらせてはならない。出来ない層が起こしてくれたミスの尻拭いでできる層の労力を浪費してしまうことになる。

 

できる層、できない層の差は持って生まれたものが大きい。誰の罪でもない。出来ないものは出来ない。たまたまである。

 

できる層は出来ない層も含んで全体を引っ張る義務がある。引っ張るためには、できる層の労力を最大限に生かすために、できない層にミスを起こす機会を与えてはならない。