これらに共通していることは、偉大な発明であること。これらによって経済は繁栄し生活は豊かになった。一方刃物での殺傷事件、車での交通事故、薬害、戦争規模の拡大等々での死者の数も増えており負の側面があること。しかしこれらによって助かっている命はより多くまた今更なくなった時の生活の不便さは想像を絶するので、適正に運用されている範囲内での犠牲は許容されている。そして犠牲者の数を減らすために更なる技術進歩を進めている。
設計でも事務でも管理でも一番お世話になっているソフトは、Exelではないだろうか。
エクセルを知らない人はいないと思うが、表計算ソフト。経理計算を便利にするために40年くらい前にビジカルクとして出てきた記憶。そしてマッキントッシュ用にExcelと命名されてMicrosoftからでた。IBM PC側はロータス123としてでしたね。懐かしい。
これらは単なる縦横計算だけで無くマクロ機能として関数を定義したり動作を自動化したり図表を簡単に作成できるので、とても便利で感動したものです。技術計算としてもマクロ関数を使って繰り返しの収束計算は簡単に出来るし、これまでそれなりの技術計算ではFortranしか無かったものがそれを使わずにそこそこ複雑な計算を数十分はかかってもできるようになったものです。今のコンピュータなら一瞬で計算できてしまいますが。エンジニアとして感動したのは、試行錯誤のシュミレーションとしてExcelが使えたからです。このサイズを変えたらどのような影響が出るかとか、サイズを抑えて効率を最適にするにはどのパラメータをいじったら良いか、試行錯誤できて非常に便利なのです。設計を試行錯誤した結果のまとめも表の形も図表でも整理すればレポートとして作成も簡単。この時代はよかった。
一方、文章作成は専用ワープロから一太郎やMicrosoft wordに置き換わっていき、個人個人が手書きで無くキーボードに考えながら直接に文章を書いていくやり方になって行きました。
これはこれで今まで順当に進歩して問題は無いかと思います。
話をExcelに戻します。
Excelはその後に出てきた競合製品をMicrosoftの戦略で駆逐し唯一の物となりました。
Excelが一般化しつつあった初期の時代、Excelをワープロがわりに使う人が結構いました。
今は画面に見える通りに印刷しても出力できますが、昔は大体ズレて横が長すぎたりセルの中で画面では全部見えているが、印刷すると切れていたり何度もやりなおしがいるようでした。
文章はWordでやれよと当時は言ってましたが、言うことを聞かない人は聞かないので、脳の構造はどうなっているのかなあと思っていたものです。
今でもこの書類はWordかExcelかはたまたPowerPointかと仕事ではテンプレートは迷います。共同作業があるかその後にどのような検索や変更をするかによって見極めるように皆しているようです。ただ途中でソフトを変更してデータを移すことも比較的簡単にできるようになったので、まあ取り敢えず始めてやりながら考えるが良いのでしょう。今の時代は。
ここから本題です。
仕事の効率化にExcelは多大なる貢献があります。反面簡単に表を作れるので何でもかんでも集計しようとしてデータを収集や入力を皆に要求してくることがあまりにも増えてきています。そのデータ集めてどうするんだと。何に使うのだと。そんなの集めなくてもわかるだろうと。仕事を直接していてそして仕事をよく理解している人間からするとほとんど無意味なデータ収集なんです。
本当に必要なデータ収集は言われなくともやっているものですから。
問題
1. 管理の仕事だけしかできない人が増えすぎた事。管理にExcelは最適。
2. 管理とモニタリング目的のいわゆる報告のための報告させられることが多すぎるようになった事。
3. 以前は集計作業が大変だったので報告のための報告が必要最低限であったが、費用は簡単に作れるので、上は要求を気安くしてくる。
4. 表を埋める作業が自動化できれば良いが、あちこちの資料を見ながらそれなりに考えながら入力しないと出来ない。
5. 時間と手間とイライラした気分を費やしたが、その作業から誰も得るものがないこと。その作業のために本来ある優先度が高い作業をやり忘れることがあること。
まとめるとExcel(表計算ソフト)は偉大な発明である事は事実ですが、反面仕事の効率化を悪くしています。
ChatGPTの制限の前にExelによるブルシットジョブの制限をやるべきです。
良く仲間と話しているのですが、なんで最近の仕事は面倒になったんだろうかと。
その答えはExcelなんです。