エンジニアのセンスとスピード感を磨く方法

大切なのはセンスとスピード感、若手エンジニアに役立つチップス

ロードスターに傷を付け、そして僕も傷付く 

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ロードスター、左後ろタイヤ上のフェンダーをスーパー地下駐車場でコンクリート柱に擦ってしまった。人を傷つけたり、自分にも怪我はないが車ボディーに凹みと傷がついてしまった。僕の心は数年ぶりにかなり落ち込んだ。

愛するものにダメージを与えてしまうのはきつい。

 

板金と塗装だけで12万円で直るようだが、完全に元通りにするには高くなるがパネルごと取り替えた方が早くて綺麗にできるとのことなので、パネルごとまるまる交換することにした。車両保険も長年保険料払っていて、一度も使ったことがないので使うことにした。 車は修理に出してまだ戻ってきていないが、僕の心の傷は完全に消えた。おそらく僕は今後より慎重になるだろう。

 

人間は他人に批判や注意を受けると動揺し落ち込む。どんな鈍感を自慢しているひとでも。

落ち込んだ状態が長く続くと、心だけでなく体に症状が出て心だけでなく本当に病気になってしまう。落ち込んだり、何か心がおかしいと思ったら、とにかくそのストレスを取り除く。それが大事なんだろう。今回、修理に出すと決まったら心がすっきりしたので、今回これを書いている。

ストレス解消の方法はいろいろあるだろうが、人から受けるストレスは耐えられないと感じたら、周りに相談するなりして、深刻にならないうちに解決するべきで、自分が悪いと考えないことだろう。自分が悪いのかストレスを与えている人が悪いかは、周りの人たちも絶対におかしいことはわかっているもの。なので、もし自分が悪くても簡単に直せないものもあるので、その場合は担当を交代してもらうなりでまず逃げることだと思う。

 

機械に取って傷とはなんであろうか。

車の表面の傷の場合、塗装が多少なり剥がれている。塗装は見た目のために色を塗っているが目的でなく、金属を錆や腐食から守るために塗られている。

傷ついてそもままにしていると必ず傷の部分に錆が出てくる。多少の錆なら金属の厚みには余裕があるので、そのままでも見た目が汚いだけで済むだろう。

凹みや歪みがある場合はどうだろうか。凹みや歪みは剛性に影響がでているかもしれない。車のボディのパネルに凹みをあたえてしまったら、おそらくパネルをはめている部分にも多少歪みがでているだろう。その影響はそのパネル部分の剛性が下がり固有振動数が変わっている可能性がある。車の場合使用速度やエンジン回転からくる振動周期に対して共振しないように剛性が与えらている。剛性が下がっていると振動が多少だろうが出てくることになる。

大型で重要な機械の点検ではベアリングや、シャフト、羽つまり大きな負荷がかか箇所に傷があるかを重点的にしらべれる。表面的な傷なのかそれとも内部まで繋がっている亀裂なのか。表面的な浅い傷であれば磨けば大体問題はない。内部につながる深い亀裂があると、その部分に力が集中することになり、亀裂はますます大きくなる。また亀裂が大きくなると剛性が変わりそこに異常振動が発生し時間が経つとある日疲労破壊で破損する。

なので飛行機の日常点検や老朽化した橋や高架は、傷がない点検しているのである。

 

心の傷も機械の傷も放置するといつか大変なことになるので、おかしいなと思ったら早めに対策を。

「卵が先か鶏が先か」

生物学的には鶏が先だと結論は出ているようですが、「卵が先か鶏が先か」は、「どちらが先かわからない」という問題の例えとしてよく使われる言い回しです。

 

長い進化で考えれば、鶏かもしれませんが、短い時間で考えれば、鶏->卵->鶏->卵->鶏の循環でありどちらが先とは言えない。考えても意味はありません。

 

NETFLIX の何かのコメディドラマで、この話が出ていました。どのドラマだったか、思い出せない。

 

「卵が先か鶏が先か」と男が女にクイズを出した。ジョークとして話すために。

 

女はそんなの知ってるわ、「まずやること」だと。

軽い猥談として、男は話したのだが、受けることができなかった。

 

前書きはここまでとして、ここから本論です。

どうも最近、仕事で解釈ばかり考えて、現実や本質を見ないケースが多くなっていると感じる。

 

一つの理由は仕事がマニュアル化が進み、その結果、経験や本質を理解していなくても、マニュアルを理解できれば一応仕事をしているふりが出来る様になっていること。物の理解よりマニュアルの読解に力が入ってしまっている。

 

子供の時を思い出してみる。

自衛隊違憲か、合憲か」この議論は誰しも一度は考えさせられたのではと思う。先生からどの様な説明を受けたかは覚えて居ないが、ただ明確でなかったことは覚えている。

これも解釈として考えては意味が無いだろう。周り国の状況を考えて必要か必要で無いか、そしてかつてのように暴走しないようにコントロール出来るか、正義があるか、それが全てである。

現実の世界では解釈問題だけにしては答えは出ない。

 

哲学としての解釈を考えることは非常に重要であるが、一般の仕事は、解釈では正しくできない。現実を見て、ものを理解することが第一。

 

解釈は、問題があるに関わらずそれを誤魔化し、問題でないと責任回避としとて使われる。現実を無視した解釈はごまかしでしかない。

 

山で遭難したら登れ

有名な教訓。

山で道に迷ってしまい、遭難しそうになったらどの様な行動を取るべきか。

 

一番に考えることは、来た道を戻る事。来た道もわからなくなってしまった場合、とにかく山から降りようと感情的になるはず。

降りる場合木々が少ない一見歩き易い沢を辿って行ってしまう。これが危ないそうだ。滝や崖が現れ落ちか怪我して終わってしまう。

落ちなくとも一度降ってしまうと、後戻りのためにまた登らなくてはならず時間と体力を消耗してしまう事になるとのこと。

来た道を戻れない場合はどうしたら良いだろうか。下山したいがあまりに沢に迷い込むことでなく、登る事だそうだ。

登れば狭まってくるので途中で登山道に辿り着く確率も上がるし、見晴らしが良い場所に出れば方角が判る。

また空からの捜索で見つけてもらえる。

 

 

装置のトラブルに当てはめて考えてみる。

 

装置のトラブルが発生した時、解決のためには、まず原因を見つけ出さないとならないのだが、しばしば原因が見つからない。

これが原因だろうと絞り込んで対策を打ってみても治らない。状況そして過去の似た事象をありとあらゆるだけ調べてもわからない。

考えられる原因を挙げられるだけまずあげて、一つ一つ検討してありえないものは消し込んで行く。でも残った可能性が高いものの対策を打つが治らない。

 

トラブルシューティングで道に迷った事になる。

 

そんな時は山で遭難した時と似た精神状態になっているのではと思う。

 

トラブルで道に迷ったら、来た道を戻り、切り捨てた原因の可能性を拾って、素直な気持ちでありえない事が起きていると考え直してみる。

 

山を降りる心境は、とにかくトラブルから逃げたいと一心。

そうでなく、トラブルを楽しむ気持ちで登る。

 

登るとは具体的にはどう言う事だろうか。

もっと大騒ぎして、第三者有識者に助けを求める。空からの見てトラブルの解決案を教えてくれるかもしれない。

期待してる、期待してない、期待はずれ、期待を裏切る

期待する希望を持ってわくわくする気持ちと、それが期待外れな結果でガッカリ感の繰り返しが脳内で毎日、毎分繰り返されている。少なくとも僕の脳内では、

 

普段の精神状態を思い出してみると、

相手が了承する。仕事を締め切りまでに終わる。道路が渋滞していない。観ているドラマが面白い。待ち合わせの相手が時間通りに来る。持株が上がる等々。

これは欲望であり、期待である。

欲望はほとんど期待通りにならないが、仕事ではそんなことを言っていられないので、欲望が通るように、根回し・脅し・誘惑あの手この手を犯罪でない限り使ってやることは当然である。論理で判断するのは、僕の経験ではインド人だけだ。 国に関係なく空気をあえて読まない頭の良い人もそうであるが、数は多くない。

 

なんでもかんでも欲望を持って期待していると、期待がはずれることの方が多いので、疲れてしまう。なので、期待はしないことを原則としたほうがいいと思う。

もともと期待していないと自分で言い聞かせながら、期待していれば、外れた時のがっかり感は小さいはず。 反対に期待していないで、うまくことが進むと期待を裏切ることになり喜びが倍増する。 

 

反対に、期待される立場の場合はどうなるだろうか。

例え新入社員がなにか仕事を任された時だ。

これくらい出来るだろうと任されたものだったら、どんな手を使ってもやり遂げないといけない。最初に期待を裏切ってしまうと、こいつはダメだと印象つけてしまう。

一流大学、特に東大卒の若者はそんな目で見られるので、注意が必要だ。

それが2流、3流大学卒だと全然期待感を持たれていないので、期待を裏切ったとしてもそもそも期待されていないから、期待通りで印象は変わらない。反対に仕事がよくできたりすると、期待を裏切ることになり、印象はサプライズを持ってよくなる。

何事も最初の印象は大事で、その後に与えられるチャンスに影響してくる。

 

数年一緒に仕事をしていれば、周りが程度をわかっている。期待して失敗されては困るので、与えられる仕事のレベルのほどほどしか与えられません。 頑張っても挽回はなかなかできないですね。でも諦めることなくいれば必ずチャンスは来ますね。

 

とにかく、初対面や初めて一緒に仕事をする相手との時は、良い意味で期待を裏切るように力をいれるべきで、間違っても悪い印象をあたえないことが大事。

最初に信頼されれば、その後も信頼してなんでもOKとしてくれるものなのです。

 

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期待することは欲望と同じなので期待するな的に言いましたが、今の日本政府は別です。

全く期待できないから、期待しないようにしましょうではダメです。

諦めたら負けです。期待を持って変えていきましょう。

 

打ち合わせでの結論のまとめ方で気になる事

ややこしい事項は、メール等の文章だけではなかなかニュアンスが伝わらない物です。

そのため関係者一同集めて、打ち合わせでお互いの理解をすり合わせて、結論を作り上げます。

 

顧客にある事項を了承してもらいたい場合は特に慎重に準備をして打ち合わせに望むことになります。いくら当方が契約に基づいていて正当だったとしても、一方的に押し切る事はしない物です。逆に契約的に不利な場合は頭を下げてお願いベースになることもあるからです。何事も持ちつ持たれつの精神は大事です。

 

 

答えが複数ありこちらの考える案に了承してくれるか自信がない場合、慎重に論理的に時にはメンタリスト的?!こちらの案に誘導しようとしますよね。

交渉相手が仕方ないなと折れて、理解してくれたとします。こうなれば交渉は成功です。

 

余談ですがビジネスなので議事録は必ず作成します。

打ち合わせをしながら議事録はその場で書くことが最近は一般的です。終わった後に書かれると内容をまた確認しないといけなくてこれが非常に手間になります。打ち合わせ中に皆で文言を確認しながら作って仕舞えば、打ち合わせは多少時間かかりますが、後で確認するより数段早く明確になります。

 

ここで本題です。

打ち合わせの目的は、こちら側の案(プランAとしておく)を顧客側に了承してもらうこと。

なので議事録としては、

「顧客がプランAを了承した。Client agreed to proceed .....」となります。

主語を顧客にしているのです。内容よりも顧客が決めた事実に焦点が当たります。

 

技術的な内容の場合、この形にまとめられてしまうと、気になる事があります。

 

プランAが論理的に一番適切だと説明をした結果、論理的に自然の流れとしてプランAになったと言えます。プランBを選ぶのは愚かで有ると説明の流れからなっているからです。

なので日本語だとどう書いて良いのか良く分からないのですが、英語だと「It is mutually agreed to ...」とかの形式主語にしたほうが、説得された方も結果を受け入れ易くなると思います。

 

もしかするプランAの選択は間違っていたことが後々判明するかもしれません。

その時に、打ち合わせのまとめ時に「Client agreed ....」的に結論を迫ったり記録すると、将来の責任追求を気にして、プランAではダメだと最後の最後に打ち合わせ結果をひっくり返される危険もあります。

 

人に判断させるという事は、判断を迫られた人は責任を感じます。

 

打ち合わせの目的は、こちら側の案を通す事。責任を相手に押し付ける事ではありません。

特に技術的な打ち合わせでは論理的な検討の結果、自然と結論が決まったとすることだと思いますね。

 

ちょっと書いていて自信がなくなったので思いますねとしておきます。

メンタリストから学ぶ

メンタリストDAIGOが窮地だ。

やる気のある若者達から人気はあるようだったので存在は知っていたがそれ以上は知らなかったのでWikipedia で経歴、そして問題のYouTube を見て見た。

 

私の悪いところと似ていて笑った。

「早口」、「共通テストで選択科目を塗り間違えた」、「頭が悪いとか口癖が毒舌」そして「猫に優しい」、、その他数々。


彼と嫌なところに共通点があるので擁護するモードで考えてみる。

ホームレスや弱者に対しての発言は問題だが、今回、「辛口」モードとして誰も言わないが誰しもが心の底にある悪の心で厳しく酷いコメントを敢えてしたのだろう。いやしてしまったのだろう。彼の本心はそこまで醜くは無いはず。

調子に乗り過ぎである。

早口で毒舌とサービス精神が加わると時たまやってしまう間違いである。

どんな場面でも冗談としても差別発言は許されない。メンタリストとして想像力はあったはずだから、話しながら調子に乗ってしまい心にも無いことを言ってしまった。

 

猫を飼っていると何事も猫を基準に考えてしまうことは良くある。ホームレスと猫を比較してしまっているのは最悪のお調子者の馬鹿である。

 

今回の事から気をつけないといけない事は、

1. 差別発言はどんな場面でも命取りになる

2. 調子に乗り過ぎては行けない

3. 大きな間違いをしたら言い訳しない。即座に間違いを認める。

 

最新のニュースでは、良くないことをしたと反省し寄付をするとある。自らボランティアするなりかなり時間をかけて活動をしないと挽回は難しいだろう。

 

共通点が多いのでもう一度やり直して頑張ってもらいたい。

「TENETテネット」を今頃観て思いついたことをメモしておく

去年話題になっていた「TENET」恥ずかしながら映画館で見ていなかった。

NETFLIXで見れるようになったので、遅かれながら観た。


www.youtube.com

内容の説明はあちこちに書かれているので省くが、一言で言うと時間を逆流する装置が未来から送られてきていてそれを使って人類を滅亡から救おうという設定。

 

タイムトラベル物はSFの定番でこれまで多数見た方が、時間を逆流する設定の映画はなかったと思う。映画になってなくとも小説はあったのかもしれないが。

 

大惨事が起こらないように未来や平行宇宙から助けが来る事とTENETも同じなのであるが、逆流と言う動きが理解しづらい。よく考えてはいけないのかもしれない。

 

TENETでは、悪魂が爆発を起こさないように爆発物を無力化する作戦を、通常生きている正時間のチームと逆行する時間のチームが協力して遂行する。

逆行チームは爆弾が落ちてくる位置やタイミングを知っているので正時間チームに情報を与えながら作戦は進む。2回観たが正直、戦闘の場面はよく理解出来ない。

 

困難な作戦は大規模プロジェクトの遂行と直ぐに絡めて考えてしまう。

TENETの場合は正時間と逆時間の連携。我々の生きている世界は正時間しか無いので、未来からアドバイスはもらえない。

しかし大規模プロジェクトは一つ一つは条件は違うが、歴戦を経験したベテランから見ると将来はかなり見えているはず。それが見えないような、そのベテランはボーとこれまで言われたことしていただけなのだろう。

歴戦を積んだベテランはTENETの逆行チームのつもりで若者の正時間チームをとにかく導くことに命をかけて特化すべきであろう。

 

時間と空間、現実世界ではSFの様には絶対にコントロール出来ない。

しかし考え方や勇気を沸かせるには、時々、時間と空間に関して妄想する事は良い物です。

「コミュニケーション」は「エデュケーション」ではない

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プロジェクトが失敗だったと判断される基準は、最終的に赤字になってかどうかである。

どんなに遅れようが酷い出来でも赤字でなければ問題視はあまりされない。

ただしそれではプロジェクトの困難度に違いが評価されないので、黒字額の目標は示されている。それでもそもそも競争のなので利益率は低く黒字で終われればこのご時世は御の字であろう。

黒字だからと言ってプロジェクトが真に成功していたかは別である。

 

 

失敗の原因の報告では、コミュニケーション不足が必ず大きく上がってくる。

 

あれだけ毎日毎日打ち合わせをし、毎週毎週報告をさせられいるのに、まだコミュニケーションが不足だというのか。おい。

 

答えはコミュニケーションが不足していたのでは無く、理解できないエデュケーション 不足のメンバーが混じっていたことです。

コミュニケーションとは意見や感情の伝達です。伝える能力がプレゼンテーションとしてよくトレーニングされますが、聞く側が意図を正しく理解できているかはよくわかりません。わからないと言いずらいので適当にうなずいていることも多いでしょう。

 

問題はコミュニケーション以前の知的レベルの差にあります。

聞く側に最低限のレベルを求めます。 いくらコミュニケーションとして説明(プレゼンテーション)しても馬の耳に念仏なのです。

 

どうしたらいいでしょうか。

レベルが低いならもっとレベルの高い人に替える。これが手っ取り早いです。

人がいないないなら教育(エデュケーション)しながらやるしかないでしょうか。仕事の効率はガタ落ちです。

 

共同作業であるプロジェクトは音楽のバンドと似ています。

一人でも奏者のレベルが落ちると全体が壊れます。

コミュニケーション不足以前の問題としてエデュケーション不足です。

 

yesman.hatenadiary.jp

「クリント・イーストウッド」を観て心を入れ替えた

夜の9時頃からの映画館は空いていてそして料金も安い。

映画館まで夜だとロードスターで20分かからない距離。自分的には一番リラックスできる空間と時間を感じる。短時間の渋滞の無いドライブと静まり返った映画館。

残念ながらコロナで今は8時で閉館。大手の映画館であるが潰れないでくれること祈るのみ。

 

早い時間に映画館に行くのは渋滞もあるし、人も多い。

リラックスにならないので、今日はアマゾンで「運び屋」を観た。

これは映画館で見ていなかった。イーストウッドの映画なのであるのに反省している。

 映画は結構ヒットしたと思うので内容については触れないでおく。うまく書けないから。

 

クリントイーストウッドはかなりの年になっていたが、流石に渋い。

口数は少ないが、一言一言に味がある。

 

そこで感じたのが、俺は仕事でしゃべりすぎている。1つのことを説明するために10話している。これでもかと捻じ込むために。 

これはカッコ悪すぎる。 

なにごとも、かっこよくなければいけない。後悔した。

 

いくら説得しても納得しない(理解しようとしない)人に、熱心に話しても時間の無駄であることは常。仕事で情熱や熱心であることが一番大切なことであるとの信念は変わらないが、残念ながら通じない人や無能は、最近多く紛れ込んでしまっている。

 

この数年は、おかしなことに対して黙っていては、後々確実に皆に害が及ぶので、とにかく嫌われても絶対に阻止するつもりで、何事も望んできたつもりである。

しかし、その努力はあまり報われていない。担当者レベルには十分納得させることができても、最後の最後に彼の上長に却下されてしまうことがよくある。

結果は、指摘した通りの悪い結果になることが多いので、それみたことかなのであるが、最後の最後まで説得を貫けなかった責任はある。

 

こんな感じで、嫌われても熱心に説得をしてきたのであるが、クリントイーストウッドを見て、少ない言葉で相手に考えさせないといけないなと考えを変えた。

言葉の多さでなく、質だ。

 

明日から我慢して口数を減らし、気の利いた一言二言で勝負するようにしてみよう。かっこよく。

「DBA」

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 日本で我々は子供の時は親の言うこと、学校では先生の言う事、部活では先輩の言う事、会社では上司や偉い人の言うことを聞きなさいとずっと言われ続けてきた。

おかしいと感じて心は反発していたかもしれないが、絶対に逆らえないと思い込んで来た。

 

親や先生や上司が完璧でない事に気がつくのは、成人して何年も経ってから。

それでも長年洗脳されてきたので、おかしな指示でも逆らうことは出来ない。

また最悪なのは、与えられた指示がおかしくても気がつかないようになっている。

 

特に最近は若者はより素直でいい子になっている。なので、

若者には「上司や国が言っていることの半分はおかしいから、話半分で聞け」と言っている。

話の背景や目的をよく分析して、批判的に考えてから行動しろと。

指示が間違っていてもそれを受けておかしな結果になったら、上司も会社も誰もかばってくれないぞと。まず自分でよく考えろと。

「DBA」だ。Don't Believe Anybody.

 

仕事が出来ない人は、毎回おかしな行動をとる。なんでそうなると問いただすと、

答えはいつも「上司の〇〇さんに言われました」。つまり自分は言われたままやっただけなので責任ありません。どうしてそうしないといけないかを考えるのは私の仕事でありませんと、、、そんな時は上司に死ねと言われたら死ぬのかと、言いたいのですが最近は我慢して言わないようにしています。時代が時代なので。

 

 

大規模プロジェクトは、複雑だ。

上司は正しい指示を出来ない。上司には上司そしてまた上司がいる。伝言ゲームだ。

皆、自分に責任が無いような守る事が第一となってしまう。無理もない。

 

サイズが10倍なら、仕事を細かく分けて10倍の人を掛ければ出来るのだろうか。

有能な人材の数は限られている。増員されるのは素人と無能がかなり混じってしまう。

彼らが大人しくぼーとしていてくれれば害は無い。しかし何か仕事をやらせてしまうと、遅いしミスはするし間違える。その後始末で有能の時間が浪費されてしまう。デリケートな問題でもあるのであまり公表されていないが大規模プロジェクトの問題点である。難しいプロジェクトは少数精鋭が基本だ。アポロ計画だってスペースシャトル計画だって素人や無能を入れていたら成功しなかっただろう。

 

宇宙計画と民間のプロジェクトを比べるのは酷だが、日々想定外の問題が発生するプロジェクトは各々が適切な判断と処理能力を持った人選、少なくとも適材適所は必要である。

 

それでも人が足りないから、おかしな指示が出てくる。

 

上司も会社も誰もかばってくれないぞと。自分でよく考えろと。

「DBA」だ。Don't Believe Anybody.

 

 

「前向きな姿勢が必要だ」

大規模プロジェクトが混迷してくると、的外れなアイデアしか出せない無能はこれを言い出す。

「前向きな姿勢が必要だ」

こんな姿勢は全く役に立たない。
悲観的に考えて、損害が最小になる案を考えて選んでいくことに尽きる。
 
 
 この現代の記事、面白い。

「オリンピック」はなぜ中止にならないのか

「オリンピック」、

こんなに日本が疲弊しているのに、収入が減っている人が多くいるのに、誰も運動会なんて観たいと思っていないのに、誰ももうテレビなんて観てないのに、なんで辞められないんだ。

 

「大規模プロジェクト」、

どうして沢山の人をかけているのに遅れるんだ、どうして丁寧に見積もりしたのにいきなり予算オーバーするんだ、どうして議論ばかりで問題を解決できないだ、どうしてそんなどうでも良い事をせっせとやって大事なことを放置するんだ、どうしてうまくいかない原因があやふやになるんだ、どうして適材適所に人員をアサインされてないんだ、どうして無能に大事な仕事を任せて、反対にどうして有能にそんなどうでも良い事やらしているんだ。

 

 

「オリンピック」はなぜ中止できないのか。「大規模プロジェクト」もなぜ遅れるのか。

大きな要因は、ボスが一人でなく、利害関係の異なるボスが沢山いるから。

 

実際に計画して動いて働いているのは同じ人達でも、その上に違う組織のボスが違う事を言い過ぎる。

ボス達はボスが所属する組織の利益の為だけに要求を出す。全体最適化ではない。

今回の「オリンピック」ならもっとボス側から中止提案が出なくてはおかしい。でも自分から誰も言い出しっぺにならない。

 

実際に行動する人達はボス達の異なった指示の全てに従わないとならない。

判断は遅れ、行動に一貫性はなくなり、結果として混乱しうまくいかない。

 

ごちゃごちゃ書いたけど、

「船頭多くして船山に登る」に似た状況。

「PDCAサイクル」

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"PDCAサイクルは、品質管理などの業務管理における継続的な改善手法。Plan→ Do→ Check→ Actの4段階を繰り返すことによって、業務を継続的に改善する。PDCAサイクルは、主に日本で使われ、Aだけが名詞のActionとされることもある。" ウィキペディア

 

 

工場の品質向上活動は中長期なのでとてもよく当てはまるPDCAですが、日々不確定要素が多いプロジェクトワークにPDCAを言われてもピンとこないものです。そのためPDCAに加えてOODA(ウーダ)という概念が出てきています。OODAに関しては検索すれば幾らでも出てくるので、気になったら検索してください。

 

PDCAサイクルはPとしてまず計画を立てます。そのプランに対してDO実行、CheckそしてA改善をします(求められます)。これは人事評価にもとても便利です。計画を立てさせてそれが達成できたかで評価すれば見えるか出来ます。

人事評価は手間ばかりかかり、メリットよりデメリットが多いのでやらない方が良いのが僕の持論であるのは付け加えておきます。

 

PDCAを大規模プロジェクトに適用すると、

Plan→ Do→ Check→ Actは違ったサイクルになります。

Plan→ Delay(遅延)→ Claim(苦情)→ Apologize (謝罪)

 

大規模プロジェクトはとにかくプラン通りに進みません。

プランの立て直して、また遅れて、また怒られて、また謝って、またプランの立て直して、遅れての繰り返し。

これが、大規模プロジェクトのPDCAサイクル

「教えたがりおじさん」

「教えたがりおじさん」が、ボーリング場やスイミングクラブで煙たがられているという話がネットで話題になっていた。

 

これってもしかして職場での俺の事ではないかと思い、皆に聞いてみた。

 

僕の日々の振る舞いは、非常に好意的に取ってくれている反応をもらった。本気にして良いのか半信半疑であるが、これからも今の調子で遠慮なくやって行こうと思う。

 

パワハラやバカにした態度をとっていない限りであれば「教えたがりおじさん」に対しては、反対に好意的に考えている人が多いようだった。それはアドバイスを必要としている若手に対してであるからであろう。

 

子供から親が嫌われる一番の理由は、頼まれもしない事をやること。良かれと思ってした事も余計なことと感じてしまう。頼まれない限り我慢して見守ることが親としては大事。

 

「教えたがりおじさん」は、街で職場で家庭で

それでも、見ていられなくなりアドバイスしたくなる時はあるだろう。

そんな時はほんの一言だけ囁くのがいいだろう。ほんのひとこだけ。

見て見ぬふりは良くない。

ここは「嫌われる勇気」を発揮。

 

何と言われようが、困っている様に見えた人が居たら、街であろうが職場であろうがいつでも声をかけることだ。

変なレッテル貼られても、わかる人にはわかるから。

「顧客」

お客様は神様ですと昔はよく言われましたが、最近あまり聞かない気がします。

反対にクレーマーやモンスターとして、厄介な客がハイライトされています。

 

Amazonの読み放題オプションで、時折り何か面白そうなものはないか徘徊して回っています。

今読んでいるのがAmazon創始者のベゾスに関する本。

ベゾスが株主宛に毎年発行しているレターを分析した内容。

「顧客にこだわる」についてが印象に残る。

 

感想は、

どんな企業でも顧客満足は言われているけど、ほとんど受け身であり、アマゾンのように積極的に求められているものを追求して便利なシステムになっていない。

お客様は神様ですと言われたことだけに対応することでなく、何を欲しているのか未来を見据えて短期的にも長期的にもシステムを作り上げて行くことがやれるのは、本当に有能でないと出来ないであろう。残念ながら日本企業の体質ではアマゾンの様な企業を作るのは無理だろう。

 

「こだわりを持つ」、この言葉だけが印象に残って他は特に覚えてないが、それでも読んだ価値はあった。

 

何度も「こだわり」と書いていたら、こだわりの意味がわからなくなってしまった。こだわりってなんだっけ。