長年会社員として働いてきて、気づけば周りに部長や執行役員になっていった人たちがいる。今更ながら、あの人がなぜ出世したのか、ようやく見えてきた気がする。
稀代の才能と人格を兼ね備えた人は、そもそも別の話だ。「なぜあの人が」と言われるような、ごく一般的なパターンで考えると、いくつかの共通点が浮かぶ。
まず「この組織を任せられるか」という目線だ。上の意図を汲んでそつなくこなしてきているか、上から嫌われていないか。次に対外的な顔として機能できるか。しどろもどろせず、場を代表して話せるか。そして、新しいことを創造したりリードしたりするより、最後の尻拭いを逃げずにやり切れるか。それなりの規模の組織を動かすには、出世したいかどうかとは無関係に、まず人間として安定していることが前提になる。
つまり出世とは才能の勝利ではなく、「信頼のリレー」の結果なのだ。
では、もう一つの要素――人間的魅力とは何か。
元Apple社員でシリコンバレーを代表する思想家、ガイ・カワサキはその著書『エンチャントメント』の中でこう語っている。
「ただ感じよくしなさい。出会う人に本物の関心を持ち、好きな人とは縁を切らずにいなさい。そうすれば、あなたを知り、評価してくれているがゆえに、助けてくれる人々の輪ができあがる」 
シンプルに見えて、これは深い。「人間的魅力」とは、特別なカリスマでも弁舌の才でもなく、他者への本物の関心と、誠実に縁を育てることから生まれる、と言っているのだ。
さらにカワサキはこうも言う。
「人々に好意を持てば、もっと多くの人があなたを好きになる」 
また人間的魅力の核心として、「魅力的な人は好かれているだけでなく、信頼されている」 とも述べている。好かれることと信頼されること――この二つが揃ってはじめて、人は本当の意味で「魅力的」になれるということだ。
出世した人間が魅力的に見えるのは、出世したからではない。振り返れば、魅力的だったから信頼を積み重ねてこられた、という順序である場合が多い。だとすれば、出世という結果を追いかけるより、人間的魅力を意識して磨いていくほうが、ずっと能動的で豊かな生き方ではないか。
「自分の情熱を追いかけることで、あなたはより面白い人間になる。そして面白い人間は、人を魅了する」 
会社の論理に合わせてさまざまなことを我慢しながら出世の階段を上るより、自分の関心を深め、出会う人を大切にし、信頼を積み上げていく。その先にある豊かさのほうが、役職の肩書きよりずっと長く、自分の人生を支えてくれるだろう。
最後に一つ、蛇足を言わせてほしい。
出世した人間が必ずしも魅力と信頼を備えているかというと、話は別だ。組織の規模が大きくなれば「人がいないから枠を埋めた」という人事も珍しくない。ポストが人を作ることもあれば、ポストが人の化けの皮を剥がすこともある。
だからこそ、出世した人たちに言いたい。肩書きを手にしてからでも遅くはない。カワサキの言う「好かれ、かつ信頼される」人間を、今日から目指してほしい。
それは部下のためでもある。上に魅力も信頼もない人間を戴いた下の人間は、本当に不憫なのだから。