むかし、ある森に「思念食い」と呼ばれる小さな獣がいた。
キツネでもなく、モグラでもなく、何かに似ているようで何にも似ていない、灰色のちいさな生き物だ。この獣には一つの力があった。人間の頭の中を覗き、その思考を丸ごと読めるのである。
獣はある日、町に降りた。
最初に出会ったのは、会議で延々と喋り続ける男だった。
「あの男は、さぞや深い考えを持っているのだろう」
獣は頭の中を覗いた。
…ここで笑いを取れれば俺の株が上がる。部長が頷いた。よし。もう一度同じことを言おう。
それだけだった。
次に出会ったのは、部下に「君のためを思って」と説教する上司だった。
「あの男は、きっと相手の成長を願っているのだろう」
獣は頭の中を覗いた。
…なぜ俺はこんなに正しいのに誰もわかってくれないのか。もう一度言えばわかるはずだ。もう一度。もう一度。
鏡の前で独り言を言う人間と、何も変わらなかった。
最後に出会ったのは、何も言わずにただ微笑んでいる女だった。
「あの人こそ、深淵な考えを持っているに違いない」
獣は頭の中を覗いた。
……(空白)……
獣は三度確認した。
空白だった。微笑みは、考えの表れではなく、考えないための技術だったのである。
その夜、獣は森に帰り、二度と町に降りなかった。
仲間の獣が尋ねた。「人間の頭の中はどうだった?」
しばらく沈黙の後、獣は答えた。
「覗かなければよかった。知らないほうが、人間はずっと面白い。」
教訓:人の考えを知りたいと思うのは、まだその人に幻想を抱いているからである。