あの国の男は、ついに一つの境地に辿り着いた。
それは、「感謝は存在しない」という事実を、完全に受け入れることだった。
最初は寂しかった。
やがて怒りになった。
そして、ある時ふと気づいたのだ。
「ああ、これは最初から設計ミスだったんだ」
感謝とは“あるべきもの”ではなかった。
あったらラッキー、なくて当然。
むしろ家庭とは、「Give and Give」の修行場。
見返りを期待することが間違いであり、
見返りがあった場合はそれをバグとして処理するべきなのだ。
以後、男は変わった。
誰に何をしても、期待しない。褒められなくても、気にしない。労ってもらえなくても、心は動かない。代わりに、こう考えるようになった。
「これは家族だからではない。これは、ただの通行人に傘を差し出すようなものだ」
自分の心が濡れようと、相手が振り返らなくても、
勝手にやって、勝手に終える。だからもう、疲れない。
さらに彼は、もう一つの技術を身につけた。
「Giveする価値のない人間」から、距離を取るという方法である。
合わない人間、感謝を知らない人間、
他人の手間を当然と思っている人間。
そういう者に対しては、Giveどころか、時間も視線も与えない。最小限のやりとり、無表情な対応、極力会話を避ける。
これは冷酷ではない。自己防衛だ。
そして何より重要なのは、“罪悪感を持たない”こと。他人の不機嫌も、自分が背負う義務はない。合わない人間に合わせる義理もない。
教訓: 感謝を求める者は、必ず失望する。見返りを前提にする者は、必ず疲弊する。
だからもう、求めるな。与えて、終えろ。
それができない相手には、与えるな。
距離を取れ。静かに離れろ。感謝がない世界は冷たいが、期待がない世界は、静かだ。
そして静けさの中にしか、ストレスの終焉はない。「家族とは、最も手間のかかる隣人である」
「その隣人に、通行人程度の感情で接すれば、人生は静かになる」